セコンドアウト! -111ページ目

ラッシャー木村さん

訃報
社専属 ラッシャー木村こと木村政雄儀(享年68)、腎不全による誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため5月24日午前5時30分永眠致しました。
ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます。

 元プロレスラーのラッシャー木村さんが亡くなった。

 ラッシャーさんは“兄貴”と慕っていたジャイアント馬場さんが亡くなったあと、三沢光晴さんらと共に全日本プロレスを退団して新団体プロレスリング・ノアに移籍。しかし2003年3月の試合を最後に体調不良のため欠場。2004年7月の東京ドーム大会で引退を報告するビデオメッセージが上映されたのが、その姿を見た最後だったと思う。

 ラッシャーさんと言えば国際プロレスではエースで“金網の鬼”と呼ばれ、新日本プロレスに殴り込んで猪木に挑戦状を叩きつけた際、第一声が「こんばんは」だったという衝撃的事件はあまりにも有名。さらには前田日明や初代タイガーマスクが立ち上げた第一次UWFにも参加したりしているのだが、私はどれもリアルタイムでは見ていない。

 私が初めてラッシャーさんを見たのは、鶴見五郎との“国際血盟軍”で全日本プロレスマットで活躍していた頃。ちょうどその頃は長州力らジャパンプロレス軍や、S・S・マシンらのカルガリー・ハリケーンズなんかも全日本に参戦していたので、何度か会場で生で見てはいるが、正直ラッシャーさんの印象は薄い。

 唯一残っている記憶といえば、やはり試合後のマイクパフォーマンス。馬場さんへの挑発や、渕正信を独身ネタでいじるラッシャーさんのマイクは当時の全日本名物の1つだった。当時、会場で観戦した際「マイク」コールをしたのが懐かしい。
 さらに馬場さんと兄弟の契りを交わし、馬場さんを「兄貴!」と呼ぶようになってから印象に残っているのが、馬場さんの表情だ。うっすら笑みを浮かべながらすごく穏やかな表情でラッシャーさんのマイクを聞いていた記憶がある。

 全日本プロレスといえば「明るく・楽しく・激しい」がキャッチフレーズだが、このラッシャーさんのマイク=明るく・楽しくで前半戦が終わり、休憩を挟んだ後半戦では鶴龍対決や四天王プロレスの激しいプロレスっていう流れは、地元の体育館や日本武道館で何回も見たが、飽きることはなかったなぁ。

 金網の中で血ダルマになっているラッシャーさんや、猪木に向かって行く大ヒールのラッシャーさんは知らないけど、マイク1つで地方の体育館だろうが、武道館だろうが、満員の観客を沸かせることが出来るプロレスラー、ラッシャー木村のことはきっと忘れないだろうな。

 ちなみに来月の13日は、ノア前社長の三沢さんの一周忌だ。早いもので三沢さんが亡くなってからもうすぐ1年が経つんだなぁ……月日が経つのは早いものだ。

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