偶然、小鉄さんの誕生日のときにしたインタビュー
29日の午前中、さてDDT後楽園大会の取材に行こうと思ったら、TwitterのTL上に「山本小鉄さんが亡くなったらしい」という書き込みがいくつか見られた。
いわゆる“ソース”としてはレスラーのブログだったり、プロレス関係者のツイートだったりと、やや微妙なものばかりで、この時点では正式なリリースはどこからもなかった。
会社(バトル・ニュース)側にはリリースが来ている可能性もあるので、後楽園ホールに向かったところちょうど私が会場に着く直前くらいに新日本プロレスが正式なリリースを出したことが分かった。
やはりショックだ。小鉄さんといえば、つい最近までバリバリ元気な印象がある。新日本の後楽園大会などに取材に行くと、解説席に座っていらっしゃったし、何と言っても印象的だったのは昨年末に行われた『SUPER J-CUP』で男色ディーノを一喝したシーンは、J-CUP史に残る名場面だった。
私はいまから約8年くらい前に小鉄さんにインタビューをしたことがある。
小鉄さんといえば、私の世代だと解説者のイメージが強いのだが、「あの前田日明が練習生時代、道場に小鉄さんの車が到着した音を聞くだけで震え上がった」とか、いちいち聞く“鬼軍曹”エピソードが強烈だったので、若干インタビューする前は怖いイメージもあった。
当時の新日本プロレスのオフィスで小鉄さんにお会いして、1vs.1の2人きりでインタビューをさせてもらったのだが、当時すでに60歳の還暦だった小鉄さんは体もブ厚いし、とにかくパワフルだった。
しかも私がインタビューしたのは、ちょうど小鉄さんの誕生日(10月30日)だったのだが、「今日も午前中に道場に行って練習してきたんですよ」と笑顔で言っていたのが、もの凄い印象に残っている。
小鉄さんはとにかく熱っぽく「プロレスはキング・オブ・スポーツでなくてはいけない!」と語ってくれたのだが、その延長線上で当時『PRIDE』もよく見ていると言っていた。小鉄さんの中では総合格闘技もプロレスであり、「僕もあと30年若かったら、出たかったですよ!」とリップサービスでも何でもなく、本気で言っていた。
プロレスファンであり、総合のリングでもプロレスラーの強さを証明した桜庭和志ファンの私からすると、こういった小鉄さんの言葉は実に心強かった! 当時の新日本プロレスはちょっと元気のない時代だったのだが、「小鉄さんこそがストロングスタイルだなぁ。小鉄さんがいる限り新日本は大丈夫だな」と思ったものだ。
最後にインタビューの中から熱血漢の小鉄さんらしいというか、一番熱っぽく語ってくれた箇所を一部抜粋する。
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それから高田たち(Uインター)がうちと(対抗戦を)やるってことになりましたよね。あれだって僕は孤軍奮闘して、うちのフロント陣と喧嘩したんですよ。フロント陣は「出て行った人間をまた何で入れるんだ!」って全員反対していた。役員だった選手もですよ。だから僕は「違うだろ! 元はうちの弟子たちじゃないか! 帰ってきて、また客が入ればいいじゃない」って、スゴイ喧嘩しましたよ。誰も受け入れなくて、もうダメだなと思ったけど、なんだかんだで僕が押し切った形でやりましたよ。その結果、ドームはすごかったでしょう! フロントの背広組にはわからないけど、僕はアイツらの価値観というものを知っているんですよ。
(「高田延彦」のカタチより)
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山本小鉄さんのご冥福をお祈りします。

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いわゆる“ソース”としてはレスラーのブログだったり、プロレス関係者のツイートだったりと、やや微妙なものばかりで、この時点では正式なリリースはどこからもなかった。
会社(バトル・ニュース)側にはリリースが来ている可能性もあるので、後楽園ホールに向かったところちょうど私が会場に着く直前くらいに新日本プロレスが正式なリリースを出したことが分かった。
やはりショックだ。小鉄さんといえば、つい最近までバリバリ元気な印象がある。新日本の後楽園大会などに取材に行くと、解説席に座っていらっしゃったし、何と言っても印象的だったのは昨年末に行われた『SUPER J-CUP』で男色ディーノを一喝したシーンは、J-CUP史に残る名場面だった。
私はいまから約8年くらい前に小鉄さんにインタビューをしたことがある。
小鉄さんといえば、私の世代だと解説者のイメージが強いのだが、「あの前田日明が練習生時代、道場に小鉄さんの車が到着した音を聞くだけで震え上がった」とか、いちいち聞く“鬼軍曹”エピソードが強烈だったので、若干インタビューする前は怖いイメージもあった。
当時の新日本プロレスのオフィスで小鉄さんにお会いして、1vs.1の2人きりでインタビューをさせてもらったのだが、当時すでに60歳の還暦だった小鉄さんは体もブ厚いし、とにかくパワフルだった。
しかも私がインタビューしたのは、ちょうど小鉄さんの誕生日(10月30日)だったのだが、「今日も午前中に道場に行って練習してきたんですよ」と笑顔で言っていたのが、もの凄い印象に残っている。
小鉄さんはとにかく熱っぽく「プロレスはキング・オブ・スポーツでなくてはいけない!」と語ってくれたのだが、その延長線上で当時『PRIDE』もよく見ていると言っていた。小鉄さんの中では総合格闘技もプロレスであり、「僕もあと30年若かったら、出たかったですよ!」とリップサービスでも何でもなく、本気で言っていた。
プロレスファンであり、総合のリングでもプロレスラーの強さを証明した桜庭和志ファンの私からすると、こういった小鉄さんの言葉は実に心強かった! 当時の新日本プロレスはちょっと元気のない時代だったのだが、「小鉄さんこそがストロングスタイルだなぁ。小鉄さんがいる限り新日本は大丈夫だな」と思ったものだ。
最後にインタビューの中から熱血漢の小鉄さんらしいというか、一番熱っぽく語ってくれた箇所を一部抜粋する。
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それから高田たち(Uインター)がうちと(対抗戦を)やるってことになりましたよね。あれだって僕は孤軍奮闘して、うちのフロント陣と喧嘩したんですよ。フロント陣は「出て行った人間をまた何で入れるんだ!」って全員反対していた。役員だった選手もですよ。だから僕は「違うだろ! 元はうちの弟子たちじゃないか! 帰ってきて、また客が入ればいいじゃない」って、スゴイ喧嘩しましたよ。誰も受け入れなくて、もうダメだなと思ったけど、なんだかんだで僕が押し切った形でやりましたよ。その結果、ドームはすごかったでしょう! フロントの背広組にはわからないけど、僕はアイツらの価値観というものを知っているんですよ。
(「高田延彦」のカタチより)
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