# 日本の少子化について考えてみた その1 | Hippo Decoのブログ

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精神科医の熊代 亨(くましろ・とおる)氏の著書、「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」を先ほど、読み終えました。たまたま、ネットニュース関連の記事を読みまして、この著者に興味をもち、調べて出てきたのがこの本。

 

 この長~いタイトル、最近の流行ですかね?漫画やアニメでもありがちな。けれども、正直、この題名だから読む気になりました。日本に帰国してそろそろ4ヶ月、少しこの社会を傍観する感じがあり、少子化問題は一体本当のところ、何が問題なんだろうと自分なりに調べて、考えていました。

 

異次元の少子化対策で、子ども手当てが増額されるとか。子ども関係はお金がかかる!お金ないから結婚もできないし、結婚しても子どももてない!っていう考えが主流だし、国の関わり方がそれを助長しているような気がしてしまう。中途半端に手当てを支給されても、2人子どもいる人が、3人目、4人目を希望するとは到底思えないし。

経済的理由?

 

本当にそこ??と思うのです。それだけではないはず!

その疑問に、この本は一つの考えを提示してくれました。

以下、本の一部紹介と感想および個人的な考えです。

 

現代人、とくに平成・令和時代の日本人は、「資本主義」「個人主義」「社会契約」を子どものころから叩き込まれ、ブルジョワ化している。子どもを産むこと、育てることは、ハイリスクで、危険な賭けであると考える。本物のブルジョアは、子育てや家事をアウトソーシングできる経済的余裕があるものだが、日本の若い世帯では少数派。

 

そもそも結婚もできなかったり、結婚してもキャリア優先で妊娠適齢期を逃すカップルも多く、1人目できても2人目の壁がありと、今のままでは状況は変わりそうにない。

 

興味深いのは、日本や東アジアの抱えるこの問題は、西欧のそれとは違うということ。だから、

西欧の方法をコピペしても状況改善には役立たないのでは

と、著者は言う。それは、同感。

 

なぜなら、上っ面だけの個人主義に走って、実際は「個」が育ってないから。普遍的価値としての「健康」に縛られ、関係性を保つためには「清潔さ」を強要され、とくに都心部では暗黙の了解であらゆるルールが敷かれ、安心・安全と秩序が保たれている。

 

そんな状況下で、ある意味、それらの価値観がグラグラと揺れざるを得ない妊娠・出産・育児の世界に足を踏みこむのは、かなりの勇者か愚者でない限り、無理難題なのかも。

 なんで、こうなっちゃった?

そもそも、人間の社会的側面ばかりがすべてであるような錯覚に陥ってないか?とくに、妊娠・子育ては、恋愛から始まって、人間の本能や生物的な営みのなせる業でしょ。子育ても、同じ。

 

それと、女性の肉体的・精神的・社会的な負担感が大きいせいではないかと思います。育児はとくに。「母親やめたい」という人も増えてるみたいだし。人類はそもそも集団で支え合ってきたから、生き残れたわけです。「お互いさま」という素晴らしい日本語があるように、他者との関係性も「もちつ、もたれつ」の適度な距離と思いやりがベースにあったはず。これについては、土居健郎氏の「甘えの構造」などをもとに、日本人の精神構造や社会性について考えてみたいと思います。

 

  仮説その1

 

 

上っ面だけの個人主義に走ったツケが  少子化を招いている

 

次回、この仮説を検証していこうと思います。

正直、難しすぎて到達点が見えない状況ですが、自分なりの見解がもてるまで、気長に楽しんで進めていこうと思います。