震災の起きた時、私は横浜にいました。
自宅に帰るまで東北地方・茨城・千葉があのような惨事になっていようとは解りませんでした。
帰ってくるまでのカーラジオからの情報は神奈川県(FM横浜)中心の情報しかなかったためです。
TVで観たその状況は私の心を締めつけるとても悲しい映像でした。
数日後の3/17私は現地に飛びました。
妻の兄・義兄が仙台にいるからです。
食糧・水が手に入らない状況だという・・・
友人が水20ℓボトル×60と無数のペットボトルの水を用意してくれた。
私は食糧確保に奔走し米・カップめん・ベビーミルク・オムツに毛布や暖房器具
等を持ち現地へ向かった。
仙台への道中、福島県に入った辺りから夜中の3時30分だというのにドラックストアには長蛇の列・・・
その中に3~4歳の男の子と手を繋ぎ、片方の腕には1歳位の子をダッコしている女性が・・・
いたたまれなくなり声をかけると、水とミルクが無いという・・
本来ならその人にだけ特別な事をしてあげてはいけないと思うが、雪が降っていて暖も取らずに並んでいたらおそらく体調を崩してしまうだろうと思い、列から離れたところで積んであった必要な物を渡しました。
朝6時過ぎ仙台市内に到着。
積んでいったものを義兄に渡し、帰ることに。
帰りは別の道で帰ってきたのですが、とても記事に出来ない状況で本当に心が痛みました。
あれから1年・・・
私が住む町では午後2時45分に放送が入り「黙とうを・・・」と。
わが町を少し誇りに思いました。
私も作業の手を止め、かぶっていた帽子をとり、黙とう・・・
何か特別なことを出来るわけではない・・けれど、復興に向かって踏ん張っている現地の被災された方に敬意をはらい日々の生活をかみしめていきたい、、、、。
このブログをご覧になった被災地の方・被災され仕事が無く、バイクが有れば仕事が出来る方が居られるようでしたら、私が所有するジャイロXを使って頂きたく思います。
コメントもしくはメッセージから一報下さい。
被災地でボランティア活動をされている方もいらっしゃると思いますが、被災された方限定でお願い致します。
亡くなった方のご冥福を心よりお祈りいたします。