先日、母校の同窓会で、中学高校の同期の友人に会い、

色々な話をしてきました。

今その学校に彼の息子が通っているので、

現状についても、少し教えてもらいました。

今、学校は、医学部志望の生徒が非常に多く、

それなりの家庭の生徒が多いということなのです。

僕が通っていた頃は割と学費の安い私立だったのですが、

そんなことは遠い昔の話になってしまっているようでした。

当時から、優秀な友人はいましたが、

進学実績は今ほどではありませんでした。

何より学習プログラムの充実ぶりに驚き、

私学で学ぶ生徒と公立で学ぶ生徒では、

6年間でどれ程の差が出るのだろうと、改めて思いました。

 

もちろん、学習方法、勉強量、知識の幅と深さ、

いわゆる学力などというものは社会に出てから、

それがそのまま使えるというわけではありませんし、

それだけが人間を測る尺度であるわけもないのです。

それでも、やはり吸収力のある年代に質の良い経験をすることは、

その後の人生に大きく関わってくるのだろうと実感しています。

もちろん、名門校、難関校など一流と呼ばれる学校の卒業生が、

全員が優れた人間であるということなどはなく、

それぞれが自らの努力で何かを成し遂げている人が素晴らしいのです。

 

振り返って、自分の子供の頃のことを思い出してみると、

トラックの運転手だった父親からは、色んなことを教わったというより、

正しいことをすることの大切さを叩き込まれたと思っています。

そして、毎朝、新聞を読めと言われたことは覚えています。

父親は、毎日ラジオを聞いて、運転していました。

テレビと違って、ラジオはパーソナリティが制約が少ない中で、

自分の良心に従って話すことが多く、

テレビよりも圧倒的に共感出来ることがあったのだろうと思います。

そうして、そういう中で父親の人格が形成され、

その父親の言葉と新聞を読むことで、僕の人格が形成されたのだと、

今は思っています。もちろん、それだけではありませんが・・・。

 

今、社会には多くのメディアが存在し、

おまけに個人個人がこうやって自分の意見を発表し、

多くの価値観が生まれ、多様性を認める社会になり、

本当に何が正しいのか、分からなくなることもあります。

だからこそ、必要なものがあるのではないか、そしてそれは、

嘘をつかないということになるのかなと思っています。

自分にも他人にも嘘をつくことなく生きていく、

何だか当たり前のことなのですが、

やはり、それが大切なのではないでしょうか。

 

僕が日々目の前にしている生徒達に、

すこしでも質の良い学習内容を提供し、必要な力を得られるよう、

出来るだけの指導をしていきたいと思っています。

教育格差に負けないように。