先日、上野にある国立科学博物館に南方熊楠企画展を見に行きました。
熊楠が生前に過ごした和歌山県田辺市は僕の母親の生まれ故郷で、僕自身も
幼い頃から何度も訪れたことのある親しみのある場所であるということもあり、
熊楠とはいったいどんな人だったのだろうという思いを持っていました。
まず驚いたのが、書き残した日記、スケッチや収集した資料の多さです。
そして、それらは現在普通に使っているノートより一回り小さいモノで、
おそらく当時はノートも紙も貴重なものであったと推測出来、
細かい文字で丁寧に書かれた資料の中には、米国、英国留学時に書いたであろう
流暢な筆記体(英語)で書かれたノートも展示されていました。
現在のような辞書などがない時代であっても、
これだけの専門的な研究を海外で続け、そして日本に戻ってからも、
自然科学を軸に、多岐に渡る学問への感心を持ち続け、
現代において重要視されている生物多様性をその当時から訴え続けていたことに、
改めて知識を持つことの重要性を感じました。
そしてその知識は体系的に分析、分類し、役立つモノにすることが必要なのです。
きっと、熊楠はもっと多くのものを集め、それらを分類したかったのだろうと、
残された資料を見て、そんな風に感じました。
知識のある人達は、いつの時代に生きていても先見の明があり、
正しい判断が出来るのだということなのでしょう。
人が生きていくというのは、まさしくこれと同じであり、
知識や経験を頭の中できちんと整理し、それらを使うということなのです。
僕もまだまだ知識を増やして、成長していきたいと思います。