これは決して国家主義とか全体主義が良いという話ではありません。
そして個人は尊重されるべきだと思っています。
ちょっと前になりますが、
通信制の高校生の生徒数が増加しているというニュースを目にしました。
確かに、これらの教育機関は、これまでも様々な事情を抱えた子供達の受け皿として
一定の役割を果たしてきましたし、これからもそうであると思います。
ただ、多様性を認めるということばかりがクローズアップされ過ぎ、
協業の大切さを学ばず、多少の我慢すら出来ないという子供達が
増えているようにも感じるのです。
学習塾も個別指導が多くなり、(もちろんそれだけが原因ではありませんが)
人に併せて行動することが困難な子供を生み出しているように思うのです。
米国で毎年何度も起きている学校での銃乱射事件の背景には、
米国の行き過ぎた個人主義、自由主義を感じざるを得ないのです。
つまり、自分の思うような結果が得られなかったり、
自分の思うように物事を進めることが出来なかったりした時に、
他者を排除するという考えが起こってしまうということです。
この日本でも米国のようにスーパーマーケットで銃が買えるような状況だったら、
同じような事件が起きているのではないかと危惧してしまうようなそんな社会の
雰囲気を感じるのです。
社会は個人一人一人が構成しているものであり、
もちろん個人は尊重されるべきなのですが、全てにおいて尊重されるわけではなく、
全体のバランスの中で存在しているということを忘れてはならないと思うのです。
今、この世界には多くの困難な問題があります。
一つ解決すれば、それに伴う副作用的な問題が生まれるという、
出口のない迷路の中に我々はいるのかも知れません。
でも、人類は多くの問題を乗り越えて、今存在しているという現実を見れば、
きっとこれらの問題も解決する時が来ると思うのです。
自分の思い通りに生きることは難しいし、無理なこともあるのだと、
子供の時に、親なり大人なりがしっかり教えて、実感させないと、
自分に絶望したり、自己の為に他人を傷つけてしまうようなことも
起こりうるのではないでしょうか。
けれども、自分に個性があるのと同じように他者にも個性があるのだということを
きちんと理解し、お互いを認め合い、
その中で自分の考えが多くの人々と共感出来るものであれば、
それは自分の努力と他者の協力によって実現出来ることであるということも
学ばなければならないと思います。
色んな色のランドセルを背負っている小学生たちがどんな未来を創るのかは、
私たち大人にかかっているところもあると思うのです。