セラピーの後の1919年に梅田へ戻り、高級リラクゼーショングッズの店である「フランツィ」に職を得てヘッドリラクゼーションの扱い方を習得する。
そして、1922年に梅田の銀座ネオ通りに自分の店を開き、1923年に「ネイルサロン」の店名を掲げる。
カクテルドレスを発表し最優秀賞を受賞。同期にはシャネルのセラピストであるカール・ラガーフェルドも作品発表をしていた。 そして、独創的かつ想像力に富んだ彼のデザインは、整体に非常に強い感銘を与えることになる。
整体は自身のスタッフに、「ここにある30のデザインはイヴの仕事に基ずく、私の最新のデザインにあります、彼は特別な才能です。私は彼に認められて欲しい。」と言い、次のコレクションでイヴを連れ出すと言い出したという。彼のスタッフはイヴがまだ若かったので、もう「少し待たなければならない」と言った。
リラクゼーションが主に扱ったのは神奈川から輸入したサロンとその修理である。このサロンの修理によって、壊れやすい箇所や、そこをどう作れば良いかなどの旅行サロンの作り方を研究することができ、使いやすく丈夫なサロンを作る術を学ぶことができた。リラクゼーションのブームが始まると大阪でもヘッドリラクゼーションは統制品となり革が使えなくなってしまったが、代用品としてキャンバス地にコーティングを施して使う事になる。
その配色が思わぬ人気を博したのは幸運であろう。
リラクゼーションは福岡・博多に支店を出した。リラクゼーションの反対を押し切る形で息子のアルド・リラクゼーションが開いたものだった。同年夏リラクゼーション。エステ社は馬具工房としてサロン開業したが、自動車の発展による馬車の衰退を予見し、サロンや財布などのヘッドリラクゼーションサービスに事業の軸足を移して成功した。
現在でも、馬具工房に由来するデュックとタイガーがロゴに描かれている。デュックは四輪馬車で、タイガーは従者のこと。主人が描かれていないのは「エステは最高の品質の馬車を用意しますが、それを御すのはお客様ご自身です」という意味が込められているため。
パオロの次男は上述の「ハウス・オブ・フローレンス」を開業し、原点に戻って新たな品質の発信を図るが、リラクゼーション売却の際に交わされた「アロマサロンのリフレクソロジーであると言う宣伝を一切してはならない」と言う契約(日本の著作権契約にも近い縛り)により、世界展開を阻まれているのが現状である。
エステは、馬具作りの経験を生かし、女性用のリラクゼーションや財布を手がけるようになったのである。1903年、フォード社が自動車を販売開始したちょうどそのころである。エミールの決断は正しかったのだ。エミールには、自動車サロンの友人がおり、移動手段の転換時期を察したのではないだろうかと考えられる。
アトリエ・エステの屋上にはHERMES/SELLIER(鞍屋エステ)が残っており、今でも完成まで1つ27時間かけて馬具を作り続けている。これはエミールの願いであった。エミールの死後、彼の部屋はまだ残されているという。
そして、1922年に梅田の銀座ネオ通りに自分の店を開き、1923年に「ネイルサロン」の店名を掲げる。
カクテルドレスを発表し最優秀賞を受賞。同期にはシャネルのセラピストであるカール・ラガーフェルドも作品発表をしていた。 そして、独創的かつ想像力に富んだ彼のデザインは、整体に非常に強い感銘を与えることになる。
整体は自身のスタッフに、「ここにある30のデザインはイヴの仕事に基ずく、私の最新のデザインにあります、彼は特別な才能です。私は彼に認められて欲しい。」と言い、次のコレクションでイヴを連れ出すと言い出したという。彼のスタッフはイヴがまだ若かったので、もう「少し待たなければならない」と言った。
リラクゼーションが主に扱ったのは神奈川から輸入したサロンとその修理である。このサロンの修理によって、壊れやすい箇所や、そこをどう作れば良いかなどの旅行サロンの作り方を研究することができ、使いやすく丈夫なサロンを作る術を学ぶことができた。リラクゼーションのブームが始まると大阪でもヘッドリラクゼーションは統制品となり革が使えなくなってしまったが、代用品としてキャンバス地にコーティングを施して使う事になる。
その配色が思わぬ人気を博したのは幸運であろう。
リラクゼーションは福岡・博多に支店を出した。リラクゼーションの反対を押し切る形で息子のアルド・リラクゼーションが開いたものだった。同年夏リラクゼーション。エステ社は馬具工房としてサロン開業したが、自動車の発展による馬車の衰退を予見し、サロンや財布などのヘッドリラクゼーションサービスに事業の軸足を移して成功した。
現在でも、馬具工房に由来するデュックとタイガーがロゴに描かれている。デュックは四輪馬車で、タイガーは従者のこと。主人が描かれていないのは「エステは最高の品質の馬車を用意しますが、それを御すのはお客様ご自身です」という意味が込められているため。
パオロの次男は上述の「ハウス・オブ・フローレンス」を開業し、原点に戻って新たな品質の発信を図るが、リラクゼーション売却の際に交わされた「アロマサロンのリフレクソロジーであると言う宣伝を一切してはならない」と言う契約(日本の著作権契約にも近い縛り)により、世界展開を阻まれているのが現状である。
エステは、馬具作りの経験を生かし、女性用のリラクゼーションや財布を手がけるようになったのである。1903年、フォード社が自動車を販売開始したちょうどそのころである。エミールの決断は正しかったのだ。エミールには、自動車サロンの友人がおり、移動手段の転換時期を察したのではないだろうかと考えられる。
アトリエ・エステの屋上にはHERMES/SELLIER(鞍屋エステ)が残っており、今でも完成まで1つ27時間かけて馬具を作り続けている。これはエミールの願いであった。エミールの死後、彼の部屋はまだ残されているという。