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ビー・ジーズ 栄光の軌跡
(原題:The Bee Gees: How Can You Mend a Broken Heart) (2020/アメリカ)
● 監督:フランク・マーシャル
〇 出演:バリー・ギブ / ロビン・ギブ / モーリス・ギブ / アンディ・ギブ / ノエル・ギャラガー / クリス・マーティン / ジャスティン・ティンバーレイク / ルル / エリック・クラプトン ほか
現在上映中の音楽ドキュメンタリー映画です。立川のシネマシティにて観てきました。ビー・ジーズのファンだと言えるほどではありませんが、ヒット曲が多いので耳にする機会も多く、好きな曲はいくつもあります。特にバラードにはメロディの美しいものが多いので、そういった曲は現在も好きです。部屋でもよく聴きます。
ビー・ジーズは、バリー、モーリス、ロビンのギブ三兄弟を中心に結成。イギリス出身ながら、一家でオーストラリアに移住したことにより、音楽活動の出発点はオーストラリアです。1963年がレコードデビューなので、ビートルズのアメリカデビューよりも早いんですよね。
映画ではその出発点から、モーリス (2003年没) とロビン (2012年没) が亡くなり、ひとり活動を続けるバリーの現在までを追って描いています。タイトルは “栄光の軌跡” となってはいますが、グループの歴史は波乱万丈。 栄光の日々ばかりではない、起伏の多い物語として興味深く観ることが出来ます。 人の人生についてを "興味深く" と言うのは趣味の良い言い方ではありませんが。
ビー・ジーズと言えば、映画 『サタデイ・ナイト・フィーバー』 のサウンドトラックに代表される、ディスコ・サウンドのビー・ジーズといったイメージで記憶されている人が最も多いでしょう。映画ではもちろん、70年代半ば頃からのディスコ時代のビー・ジーズについても時間を割いて語られています。
もうひとつのビー・ジーズのイメージは、ディスコ時代以前のポップなメロディ、美しいメロディを書くポップ・グループとしてのビー・ジーズです。 僕自身はこの時代のビー・ジーズについては知らないことも多く、当時を振り返った3人の回想インタビューは興味深く観ることが出来ました。
美しいメロディのビー・ジーズと言えば、例えば67年ヒットの 「マサチューセッツ」や、映画 『小さな恋のメロディ』の主題歌としておなじみの 「メロディ・フェア」 (1971) などです。 忘れてはならないのが、アメリカのハーモニー・ミュージックの歴史に名前を刻むほどの美しさを持ったハーモニー・グループであるということです。 彼らのハーモニーは、時代ごとにスタイルを変えながらもずっと素晴らしいものがありますね。
因みに「メロディ・フェア」 については、映画では触れられていないので何故なのかなと思いましたが、『小さな恋のメロディ』 という映画自体 英米ではヒットせず、日本のみの大ヒットという理由からのようです。
Massachusetts (1967)
兄弟のグループだからと言って全員の仲が良いと言うわけにはいきません。 ビー・ジーズの場合もバリー(長兄)と弟のロビンとの間に仲違いがあったことが、映画でも語られています。その結果、グループとしての活動をほとんど停止 (解散) してしまった時期もあったということです。
兄弟でも喧嘩によって醜い決裂をずっと続ける方もいますが、ビー・ジーズの場合は再結成に至ったんですね。ビー・ジーズをリスペクトしているというノエル・ギャラガーには、この兄弟喧嘩についての持論も語って欲しかったです。
その他 この映画にはビー・ジーズをリスペクトするアーティストや関係者たちの貴重なインタビューを見ることが出来ます。 でもクラプトンが登場した時には、「またクラプトンかよ! この手のドキュメンタリーにはどこでも出てくるなぁ」 なんて一瞬 思ってしまいました。クラプトン好きなので許しますが。
ビー・ジーズは70年代前半の低迷期を経て、70年代後半のディスコ時代に突入します。世間のディスコ・ブームを察知したのか、開き直って鞍替えしたかのようにディスコ・ビートに乗った曲を臆面もなく発表。 しかもどれも大ヒットさせてしまうんですね。このあたりの現象は、僕もリアルタイムでよく知るところです。 ディスコ・ブームに加油し大爆発を招いたのが、映画 『サタデイ・ナイト・フィーバー』と、その音楽を担当したビー・ジーズのディスコサウンドです。
Stayin' Alive (1976)
ディスコ・サウンドですが何か? と歌いながら肩で風を切って街を闊歩する3人。
『サタデイ・ナイト・フィーバー』 という映画、日本でも大ヒットしました。 ”フィーバー" という言葉が流行語になってしまったぐらいです。 そしてディスコ・ブーム。 バスドラを等間隔で打つ、いわゆる "4つ打ち" と言われるリズム。 最初は何とも思わなったのですが、これがじわじわと増殖を続け、気がつけばヒットチャートは4つ打ちだらけ。 これは本当の話です。
ロッド・スチュワートもキッスも、そしてストーンズまでもが。 ファンクという、黒人たちの踊りたいという衝動を駆り立てる音楽もディスコ化。 ビー・ジーズは白人のグループですが、フィラデルフィア・ソウルから影響を受けたファルセットを駆使したヴォイスがディスコ・ビートにマッチ。 白も黒もなくなったダンス・ミュージックの一大ブームです。
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踊るためだけの音楽であったとしても、ビー・ジーズの場合は音楽性が高いので批判されるいわれはないと思うのですが、ほとんどジャンクと言ってもいい、ただ4つ打ちビートに乗せただけの陳腐なディスコ・ミュージックが横行したのも確かです。そしてアメリカで、ディスコ・ミュージックに対する批判が高まっていったという驚きの事実が映画でも語られていました。
日本でもディスコ・ミュージックへの批判は当時いくらかは聞いた記憶がありますが、それほどのものではなかったと思います。 1979年に大リーグの球場での試合の合間に行われたイベント 「ディスコ・ミュージックをぶっ飛ばせ」 という反ディスコ運動は、映画で見る限りかなり過激なものです。
ディスコ嫌いのあるラジオDJが、ディスコサウンドであふれた音楽番組からディスコ音楽を締め出そうと計画。ラジオの聴取者に "レコードを持って球場に" と呼びかけ、集めたディスコのレコードの山を爆破するというイベントです。 メガヒットを記録し、マトが大きいだけに逆風をもろに受けてしまったのがビー・ジーズです。
最後に、個人的には最も好きな曲
「失われた愛の世界 / Too Much Heaven」を。 ビー・ジーズがユニセフ基金に寄付した曲です。
ディスコ・ブームの最中にあっても、「愛はきらめきの中に」や「失われて愛の世界」 という、全米ナンバー・ワンンとなる美しいバラードを発表していたビー・ジーズ。 こういった曲にこそ、ビー・ジーズの音楽の魂があると思うのですが。。。
Too Much Heaven (1978)
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