ザ・ヒストリー・オブ・シカゴ  ナウ・モア・ザン・エヴァー | Get Up And Go !

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ザ・ヒストリー・オブ・シカゴ ナウ・モア・ザン・エヴァー
(原題: THE HISTORY OF CHICAGO NOW MORE THAN EVER)(2016 アメリカ)

● 監督: ピーター・パーディーニ
〇 出演: ロバート・ラム / ジミー・バンコウ / リー・ロックネイン / ダニー・セラフィン / テリー・キャス / デイヴィッド・フォスター / クライヴ・デイヴィス



現在公開中。 新宿シネマカリテにて観てきました。
シカゴは "ブラスロック" を確立した、アメリカが生んだ偉大なロック・バンドです。 1967年の結成から、ロックの殿堂入りを果たした2016年までのバンドの軌跡を、当時のアーカイブ映像とメンバー本人や関係者等のインタビューを交えて追った、ドキュメンタリー映画です。






67年、デ・ポール大学の学生、ウォルター・バラザイダー (sax) が、テリー・キャス (g) と出会うことによって 「ミッシング・リンクス」 という、「シカゴ」 の母体となるバンドをシカゴにて結成。

バンドは 「ザ・ビッグ・シング」 へと発展し、まもなくピーター・セテラ (b, vo) も加わり7人となったグループは、デビュー・アルバムとしては異例の2枚組作で69年にデビュー。 当初のバンド名は 「シカゴ・トランジット・オーソリティ」。 ”シカゴ交通局” と訳されるこのバンド名は、シカゴ交通局からの苦情によって、「シカゴ」 というバンド名に変更されます。

セカンド・アルバム 『2』 も2枚組となり、アメリカ音楽史上に残る名盤となったこのアルバムからは 「25 Or 6 To 4」 という大ヒットも生まれ、シカゴはあっという間にスターダムに登り詰めます。




CHICAGO / 25 Or 6 To 4 (1970)

アメリカ
50年という長きに渡って活躍し、ラジオでも多くのヒット曲が流れそれを耳にしてきたので、シカゴの音楽については概ね知っていました。 ですがバンドの結成から成功に至るまでのエピソード。 低迷し復活し、新たなメンバーを加えての活動継続の、その過程で起きた内幕劇についてはほとんど知らなかったため、その点では非常に興味深く観ることが出来ました。

「シカゴ」 というバンドは大所帯であったためか、メンバー間の民主的な取り決めによって活動していたそうです。 当初は特定の誰かにスポットを当てて売り出す、というバンドではなかったんですね。




CHICAGO / Saturday In The Park (1972)
ややポップ路線の頃です。日本でもテレビCMで使用された有名な曲。 好きな曲です。


「シカゴ」 というバンド名から、スラスラとメンバーの名前を言える人は一般的な洋楽ファンには少ないと思います。 すぐに出てくる名前はピーター・セテラぐらいでしょうか。あとは78年に悲劇的な事故死によって名前を知られることとなったテリー・キャスですかね。 あの事故は、ロシアンルーレットによる事故死、と当時日本の音楽雑誌等でも衝撃的に伝えられたのをよく憶えています。

デビューから70年代始め頃までの 「シカゴ」 の作品では、テリー・キャスのアグレッシヴなギター・プレイというのはとても印象に残るものです。ジミ・ヘンドリックスが興味を示したというのはよくわかります。 映画では、ジミやジャニス・ジョプリンとの交流についても触れられていて、「そうか。シカゴってまさにあの時代に生み出されたロック・バンドなんだな」 と、あらためて認識することができました。 実際そういった音ですしね。



CHICAGO TRASIT AUTHORITY / I'm A Man (1969)


管楽器3本を前面に出したブラスロックは、ライヴでその音が目の前で展開されたなら、かなりの迫力あるサウンドを感じることができたはずです。 そしてそのサウンドの推進力となっていたのが、テリー・キャスのギターです。 特に初期の頃は、暴走気味にも思えるプレイがバンド全体を煽っていたはずです。

80年代のピーター・セテラを前面に出した、デヴィッド・フォスターによるAORサウンドの「シカゴ」 も、それそれで良いとは思います。 ですが、はっきり言ってしまえば別物ですね。

僕が 「シカゴ」 の音楽をはっきりと認識したのは、76年にグループ初のナンバー1ヒットなった 「If You Leave Me Now (愛あるわかれ)」という曲です、ピーター・セテラ作詞/作曲によるバラード・ナンバーですが、こういったバラードをテリー・キャスは嫌ったそうです。

新しいファンを獲得したこの曲は低迷期にあったバンドを救った曲ではありますが、同時にホーンセクションの存在を後退させ、バンド内に亀裂を生んでしまうという結果にもなります。そして、80年代のAOR路線の伏線のような形にもなってしまった曲です。

リアルタイムで聴いたこのバラードヒット、実はとても好きな曲です。 これは今になって思うことですが、それまでの 「シカゴ」 への "別れ" を暗示していたように思えて、美しく完璧な曲ゆえに哀愁を感じてしまうのですが。



CHICAGO / If You Leave Me Now (1976)





↓ 全国で順次公開予定とのこと
ザ・ヒストリー・オブ・シカゴ