ジミー・マカロック | Get Up And Go !

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ビートルズ解散後のポール・マッカートニーのバンドのギタリストとして最も印象に残っているギタリストは? そのように問われたらジミー・マカロックと答える人は多いはずです。70年代後半のウイングス全盛時は、ポール・マッカートニーのライヴ史の中でも最も華やかで勢いのあった時代です。今回はその時代を支えたギタリスト、ジミー・マカロックについて。

ジミー・マカロック(名前の日本語表記はいろいろあるようですが)は1953年、イギリスのグラスゴー出身。1966年13歳でプロとしてのキャリアをスタートさせ、69年にはサンダークラップ・ニューマンというバンドに加入し(この時点で15歳)、ピート・タウンジェントのプロデュースのもと 「Something In The Air」 という全英ナンバー・ワン・ヒットを飛ばしています。

そしてジョン・メイオール&ブルース・ブレーカーズに参加した後、”英国のジャニス” マギー・ベルを擁するブルース・ロック系のバンド、ストーン・ザ・クロウズに参加することになります(ストーン・ザ・クロウズもグラスゴーのバンド)。ここでのプレイを聴けば、ジミー・マカロックの音楽的ルーツは、はっきりと見て取れます。



STONE THE CROWS / Penicillin Blues (Live in Germany 1973)



72年のストーン・ザ・クロウズ参加時点でジミーはまだ19歳。その直前に参加していたブルース・ブレーカーズはクラプトンやミック・テイラーを ”卒業生” に持つブルース学校。キャリアだけ見ても、ジミーはすでに百戦錬磨の強者でした。

ストーン・ザ・クロウズでは1枚のアルバムに参加したのち、バンドは解散。この後、ポールの弟のマイク・マクギアのアルバムやリンダのプロジェクト・バンドの録音に、ポールの誘いによって参加。74年からは正式にウイングスのメンバーとして加入することになります。

ポールはジミーのギター・プレイをとても気に入っていたそうです。おそらくポールはジミーの音がどうしてもバンドに欲しかったのだと思います。ポールの音楽は、ポピューラー・ミュージックとしては高く評価される一方で、ロック・ファンからは優等生向けのポップスとして批判されたりしていたのも事実。ウイングスのツアーのコンセプトが「ROCK SHOW」 であった事を考えると、いわゆるブルースを基調にしたロック・テイストもバンドの音として必要であったという事だと思うのです。

それにしてもポールのベースとバック・コーラスを従えてメイン・ヴォーカルをとれるとは、何てしあわせな奴なんでしょうか。



WINGS / Medicine Jar (Live in Australia 1975)



ちょっと個人的な話で申し訳ないのですが・・・。75年のオーストラリア公演は、当時テレビで放映されました。中学生だった私は、テレビの前にカセット・レコーダーを置き(当時はみんなやっていた)、まさにかじりついて観たのです。日曜の夜のゴールデン・タイムだったのですが、ウイングスの来日が直前になって日本政府の許可がおりずにキャンセルとなったため、雰囲気としては残念会のような感じでした。しかしながら、ビートルズ時代の映像と共に放映されたあの夜の体験は、僕にとっての "エド・サリヴァン・ショー” でした。

そのライヴではポールのカッコ良さと共に、ジミーのまだ少年っぽさの残る容姿もはっきりと憶えています。そしてこの時のジミーのプレイは、ウイングスにワイルドさを持ち込んだとして当時のメディアでは高く評価されています。

ウイングスのアルバムには、『VENUS&MARS』 『SPEED OF SOUND』 『WINGS OVER AMERICA』 『LONDON TOWN』 に参加。「メディスン・ジャー」(VENUS&MARS 収録)と「ワイノ・ジュンコ」(SPEED OF SOUND 収録)の2曲でジミーのリード・ヴォーカルを聴くことが出来ます。どちらもストーン・ザ・クロウズ時代のドラム、コリン・アレンとジミーの共作によるナンバーです。



WINGS / Wino Junko (1976)


77年9月。ジミーはアルコールとドラッグによるトラブルから、ポールによってウイングスを解雇されています。過酷なツアーと、富と名声によるプレッシャー。短気な性格も災いし、メンバーとの衝突を繰り返したそうです。その後、ステーヴ・マリオットによる再結成スモール・フェイセスに参加したことを考えると、音楽的にもっとブルージーでヘヴィーなものを指向していたのも事実なのでしょう。個人的にはそのあたりの音楽をもっと追究してほしかったとは思います。

79年9月27日。ジミー・マカロックはロンドンの自宅でヘロインの過剰摂取によって死亡。26歳でした。新しいバンドを結成し、ワーナー・ブラザースとの契約を決めたばかりだったそうです。死亡の知らせを聞いたポールは 「偉大なギタリストだった。すごく悲しい」 というコメントを残しています。



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JIMMY McCULLOCH and STEVE MARRIOTT

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