以下、旧日本軍の伝説
■船坂弘
日本陸軍の軍人、大盛堂書店代表取締役会長。全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、
大盛堂道場館主。テキサス州名誉市民章授与。最終階級は軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。
舩坂弘-アンガウルの戦い
米兵を200人以上殺傷。米兵から鹵獲した短機関銃で数人斃し、
左足と両腕を負傷した状態で銃剣で一人刺殺し、短機関銃を手にしていた
もう一人に銃剣を投げて顎部に突き刺して殺すなど、鬼神を泣かしめる奮戦をした。
部隊壊滅後、敵将に一矢報いんと手榴弾六発、拳銃一丁を持って米軍指揮所テント群に
数夜をかけて潜入した時には、すでに左大腿部裂傷、左上膊部貫通銃創二箇所、
頭部打撲傷、右肩捻挫、左腹部盲貫銃創を負っていた。
突入してきたこの異様な風体の日本兵に、発見した米兵もしばし呆然として声もでなかったという。
舩坂は前哨陣地を単身突破し、米軍司令部を目指し突入するも頸部を撃たれて昏倒し、戦死と判断される。
しかし、舩坂は3日後に米軍野戦病院で蘇生する。ペリリューに身柄を移されて2日目には、
重傷を負っているにも拘わらず捕虜収容所から脱け出し、米軍弾薬庫の爆破に成功している。
個人の戦闘記録としては唯一戦史叢書に載せられる。
■小野田少尉
小野田少尉は和製CIA養成所である陸軍中野学校の中で
情報に特化した二俣分校卒の情報将校だ
余り知られていないが小野田少尉は終戦前に受けた命令を守って
ルパング島奪還のためにフィリピン警察軍と在比米軍の兵士30人を殺傷
島内にあったアメリカ軍のレーダーサイトと
その周辺基地の車両、補給庫を単独で狙撃及び襲撃や撹乱をし
戦中含めて合計百数十を越える戦闘を展開した、
彼がなかなか発見されなかったのはそのため
警察軍から奪ったトランジスタラジオで短波受信器を米軍補給庫にあった
金属製ワイヤーで簡易アンテナを建てて、独自に世界情勢を把握
末期には皇太子の結婚を知りつつ部下の小塚と競馬中継を聞くのが趣味に
ゲリラ戦技術を活かして野生の牛や鹿を捕獲して乾燥肉としヤシの実から砂糖を精製
ちなみに使用武器は九九式短小銃、三八式歩兵銃、軍刀だけだったが
米軍基地にあった7.7x58SR機関銃を改造し九九式の弾でも使えるようにしていた
あと小野田少尉の帰国後一番のニュース、
NHK「小野田さん帰国」は関東地区だけで最高視聴率45.4%を記録
今も生きており日本の教科書だけでなく海外の歴史書にも載っていて、
真の軍人として中国からの評価も高い
■石井部隊
第二次世界大戦
期の大日本帝国陸軍
に存在した研究機関
のひとつ。正式名称は関東軍
防疫給水部
本部で、731部隊の名は、その秘匿名称(通称号
)である満州第七三一部隊の略。このような通称号は日本陸軍の全部隊に付与されていた。初代部隊長の石井四郎
(陸軍軍医
中将
)にちなんで石井部隊とも呼ばれる。
満州
に拠点をおいて、防疫給水の名のとおり兵士の感染症
予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器
の研究・開発機関でもあった。そのために人体実験
や実戦テストを行っていた
恐ろしい、トイレ行けなくなった