喜ぶ事をしてあげる→喜ぶ事をさせてもらう | 千葉市ではたらく社長のブログ



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親切の押し売り

お節介

気配り

気遣い

優しさ

 

先ほどこの事について話しをしていました。

 

この言葉の羅列をそれぞれ、

説明したい訳ではないのですが、

どんな事を話していたかというと、

色々な親切をしてもらえるのは、

とてもありがたいのですが、

やってもらっても困る事だったり、

気を使われすぎて恐縮したり

肩身の狭い思いしたり

などなど、

親切をする側が、

良かれと思ってやっている事でも

相手にとっては必ずしも

そうではない事って、あるよね?

って、話をしてました。

 

 


やる側、やってもらう側

どちらの立場も経験があると思いますが、

出来る事なら

やる側の立場の場合には、

「してあげたい」

「(物などを)あげる」

という感覚は持た無い方がよいと思ってます。

 

そもそも親切とは自分が相手の事を思って

「相手の為になりたい。」

そんな風に思ってするものですので、

「させてもらいらい。」

「もらってもらいたい」

こんな風に考えられたらいいな。と。

 

当然する側は、

相手のリアクションが気になりますが、

自分の思ったリアクションではない場合には、

その行動自体が相手には

違うものだったと思うようにしています。

 

 

喜ぶ事をしてあげる = 喜ぶ事をさせてもらう

○○をあげる = ○○を贈らせてもらう

 

 

よく、

「あいつは、○○してやったのに、

感謝もその後の行動もない」

「○○してやった恩も忘れてやがる」

なんて怒っている人を見かける事がありますが、

やった側がこんな風に思ってしまっては、

全てが台無しですし、

押し売りになりただの自己満足かと。

 

もちろん、感謝を言動で示すことは大事ですが、

頼まれて、「してあげた」訳でもなく、

やる側から自発的にやったのであれば、

例え「ありがとう」の言葉がなくても

仕方ないと思います。

 

それで、悲しい思いをしたのなら

もうしなければ良いだけの話です。

 

やる側が相手のリアクションで不満や何か物足りない感情を持った場合は

それは、見返りを求めているからなのではないでしょうか。

■感謝されたい(言葉も含めて)

■いい人と思われたい

■敬ってほしい

■自分の欲を叶えてほしい

などなど・・・

 

やる側が「したくて」しているんであれば、

リアクション要らないですよね?

 

もちろん、相手の為になりたい。

喜んでいる笑顔が見たい。

だからやることが多いと思いますが、

リアクションに不満を持つ時点で、

その行為自体が間違っているんです。

相手に軸が無く、自分に軸がある

ただの自己中的な考え方です。

 

見返りを求めず行い、

その気持ちが相手へ届き

その相手も呼応してくれたら、

素晴らしい人間関係が築けると思いますが、

相手が呼応出来ない行為であれば、

それは検討違いな事だと思います。

 

また、される側として

いくら、「自分がしたいから」と言われても

自分の想像を超える事をされると

感動になる事もありますが、

驚きになり恐縮してしまう場合もあるかと。

 

その場合は、

受け入れたいと思えば受け入れ、

自分ができる事、自分自身が心から

「したい」と思った事を

素直に返せば良いのではないかと思います。

 

人によって出来る事はそれぞれですし、

その人がやる事に意味がある事もあります。

 

倍返し、半返しなど、

してもらった事に対して

その対価を考えがちですが、

心底、自分自身が「やりたい」と思って

やっている人は、そんな事気にしないとも思います。

 

親切や気遣いや気配りとは、

そもそも自分自身の心にある

対象者に対する気持ちを

行為や物で表した行為ですので、

その人なりの表現が一番相手に

伝わる気がします。

 

ま、偉そうに書いている私自身も

出来ていないんですが・・・

この感覚は忘れないようにしたいと思っています。

 

 

まとまりない文章ですが、この辺で・・・