先日接する相手によって態度を変える人を見た。
そういう人は沢山いるし、当たり前っちゃー当たり前だけど、
同じ態度を変える人でも、嫌われない人と、嫌われる人の両方が存在すると思う。
ちなみにその人はうちの従業員に対しては、
「ふざけんなよ!!!」
「しっかり仕事しろよ!!!」とうの
暴言を吐くが、
私や世間一般的に「先生」と言われる人にたいしては、低姿勢なのである。
もしかしたら相手を見ているのでは無くて、その時の感情で動いてしまって、
いつもの自分とは違い、態度が変わっている風になってしまっているかもしれないけど・・・
正直そういうのを見ていると気持ち悪い。
こんな意見もある。
弊社の女性事務員の人たち数人が、頻繁に出入りする取引業者の人にこんな感情を持っていた。
「私たちと偉い人たちに対する態度が全く違うから大嫌い」と、
こう言い切られてしまうのだ。
基本自分は相手によって態度を変えるのは嫌いだし、そういう人は正直信用しないようにしている。
相手によって態度を変えてはいけないと、子供の頃に強く思わされた出来事。
もちろんいろんな場面で親や恩師等からそういう事は言われていたけどこんな事がきっかけだった。
小学生の時に通っていたサッカーのクラブチームでの事で、
自分のチームを担当していてくれたコーチは、ドイツへのサッカー留学経験のある、
厳しさの中に優しさが見えるコーチで、小学生ながら今も顔も名前もはっきり覚えている。
ある日そのコーチが不在の時にその日は別の若い優しいコーチが担当し、
その日の練習は無事終了・・・
なんの代わりも無い、いつもの練習だった。
だけど次の練習時に、ドイツ帰りのコーチに自分だけがみんなの前で褒められたのだった。
練習前のブリーフィングで20人前後の小学生がいる中でいきなり自分の名前だけ呼ばれて、
「すばらっしぃ~!
誰がいようと、誰がいまいと態度を変えずにやる姿勢は大切」
こう一言・・・
当時はこの言葉の真意をきちんと咀嚼できたかは不明だが、褒められた事が嬉しかった!
当時の記憶と大人になってからの理解力を総合して判断すると、
若い優しいコーチの時は言うことも守らず、好き勝手やっている子供の中で、
いつもと変わらない態度で練習をしていた、幼き頃の自分を評価してくれたのかと。。。
でも当時の自分の意識としては、そのコーチが不在なのかも良く分かっていなかったし、
そもそもそのコーチの前ではしてはイケない事があるなんて理解もしてなかったと思う。
つまりは自分の中では態度を変える必要すらなかったし、変える程の器用さも無かったと思う。
だけど大人に近付くにつれ、そうじゃまずい事もいろんな場面で経験した。
中学・高校でやっていた陸上競技の時は両方とも練習は厳しく、
監督がいない時は正直みんなと一緒になってサボったりもしたし、
社会人になり、相手によって態度(接し方)を変える必要がある事も知った。
節度やTPOをわきまえて、立ち振る舞いを変えないといけないと教わってもきた。
特にビジネスの中で、上司、同僚、部下、そしてクライアントに等に対して、
全て同じ態度でいいわけは無い。むしろ変えなくてはいけない。
子供の頃も「親に対してふざけた態度を取るな」と良く叱られた。
言葉づかい、親を冗談でも叩く事だったり、足を向ける事だったり・・・
人間関係の立場によって、振る舞いを考えなくてはいけないのだ。
態度を変えてはいけない、でも立ち振る舞いを考えなくてはいけない。
少し矛盾も感じる。
ではどうすればいいのか。
態度とは物事に対したときに感じたり考えたりしたことが、言葉・表情・動作などに現れたもの。
こう辞書に書いてあり、態度=自分の感情になる。
つまりは態度が違えば思っている事も違うのだ。
そりゃー人間だから、接する相手によって抱く感情は違う。
同じ事でも、「この人は許せても、あいつは許せん」って事もある。
でもそれを態度に出して相手に伝えてしまっては、自分が損をするだけである。
態度は変えなくても立ち振る舞いや接し方を変えれば少しは印象も違う。
そもそもその態度=感情が歪んでいれば意味ないけど、
基本どんな相手でも、最初や一度は尊重し受入れる事をしないと感情が変わり立ち振る舞いも変わる。
立場やディテールだけで判断して接して、適当な態度や立ち振る舞いをしていると、
そのした事が必ず自分に返って来る事も痛感させられた。
そうよく言う言葉だけど、
「自分がしたことは必ず自分に返ってくるのだ。」
全人類に対して平等で紳士的振る舞いをしなくてはなんてむず痒い事を思ってはいないけど、
立場などで判断しないで、まずは自分の目や肌で感じてみないと必ず損をする。
ごくごく当たり前の事を言っているけど、やはりこういう基本的な事を抑えないとね!