朝日社説(2007年05月05日)
「こどもの日に―思い切って任せてみたら」
小学生だけに出される文学賞の受賞作品集「12歳の文学」を読んだ。
真夜中のプールに浮かび、水面の月を眺める孤独な姉妹の話があれば、明太子王国の危機を救うおにぎりのお話もあって、奔放な創造力が読ませる。自殺した教師の心を思いやる作品もある。
子どもなりに今の世の中の矛盾を感じ取っているのだろう。ゲーム漬け、携帯電話漬けといわれがちな子どもたちの感性も、捨てたものではない。
良くも悪くも今時の子はメールに慣れ、文を書くことへの抵抗感が薄い。相手との衝突を招かないよう表現に気を配り、神経もこまやかなのだ。
おたくももう少し文章に気配りした方がいいと思うぞ。ヾ(^_^;
西洋の中世史の研究を思い出す。当時は5、6歳を過ぎれば小さな大人として扱われ、遊びも仕事も大人たちの間で過ごしていた。子ども期を区別し、学校や家庭で教え育てていく、という考え方は近代以降のことだ。
子どものためにといって自分の考えを押しつける大人こそ、実はひとつの価値観に縛られ、不自由なことが多い。
「特亜のためにといって自分の考えを押しつける新聞社こそ、実はひとつの価値観に縛られ、不自由なことが多い。」ということか?ヘ(゚◇、゚)ノ
せんだって行われた全国学力調査を自治体で唯一拒否した愛知県犬山市の教育委員会は、「子どもの学び合い」を唱えている。黒板を背に教師が教えるのではなく、子ども同士で教え合い、考えていく。ここには、子どもが自分で成長する力への信頼がある。
小学校の算数の授業をみせてもらった。30人学級をさらに二つの教室に分けたうえ、3、4人ずつのグループで一つの問題を解いていく。「次は僕の番だ」「こうやるんだよ」とにぎやかだ。1人で問題を解く時間も設けて、理解度を確かめる。
先生が「静かに」と大きな声を出すことはない。子ども同士の会話が弾み、楽しそうだ。「不登校はゼロ」と校長が誇らしげだった。
学力調査への参加を求める父母もおり、拒否の教育委員会と市長が対立する騒ぎにもなった。だが、競争原理で教師や子どもの尻をたたく文部科学省にくらべ、夢を感じる。市費で非常勤講師や雑用担当の係を雇い、地域の支援も受けて、教師が本来の授業に専念できるようにしている。
山形県遊佐町では、もうすぐ5回目の少年町長と少年議員の選挙がある。有権者は町内の中高生約1100人。公約を役場職員が聞き取ってチラシを配る。
当選後、本物の議場で本職の町長や課長らと年3回、質疑をする。自分たちで話し合い、年間約40万円の予算を使う。これまでにバス停に雨よけをつけ、自ら出演者を募集してコンサートを開いた。
愛知県犬山市ならびに、山形県遊佐町にお住まいの方には心から同情申し上げます。しかし、そんなんを許してきたのも皆さんですから、自業自得ですからね。
「任せれば、できる」。周りの大人にそう思わせる実績をあげてきた。
「いまの子は夢がない」「覇気がないねえ」と言いがちな大人たち。でもそう嘆く前に、子どもが活躍する場を試しにつくってみませんか。意外なセンスに出くわすかもしれませんよ。
その結果が「キレる子供」と「犯罪の低年齢化」を推進してきたのです。ガキのうちから物事の判断力を鈍らせておいて、洗脳するのは共産主義者の常套手段ですよ。気をつけませう!(・ω・)ノ
子の自由 共産主義者の 常套句