朝日vs産経-小泉首相年頭会見 | BOBlog

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 日本はまだまだ大丈夫!

まず、首相年頭会見についてご存じない方は、先にコチラ に目を通してください。


これについて、
1月4日付・朝日新聞社説
首相年頭会見 私たちこそ理解できぬ


 これほど理解力が足りない人が、内閣総理大臣を続けていたのだろうか。そう思いたくもなるような光景だった。

 年頭の記者会見で、小泉首相は自らの靖国神社参拝に対する内外の批判について、5回も「理解できない」を繰り返した。

 「一国の首相が、一政治家として一国民として戦没者に感謝と敬意を捧(ささ)げる。精神の自由、心の問題について、政治が関与することを嫌う言論人、知識人が批判することは理解できない。まして外国政府が介入して、外交問題にしようとする姿勢も理解できない」

 理解できない言論人、知識人とは、新聞の社説も念頭に置いてのことだろう。全国の新聞のほとんどが参拝をやめるよう求めている。「理解できない」と口をとがらせるよりも、少しは「言論人」らの意見にも耳を傾けてはどうか。

 首相は、日本を代表する立場にある。一政治家でも一国民でもない。私的な心情や感懐より公的な配慮が優先することは言うまでもない。

 私たちは、一般の国民が戦争で亡くなった兵士を弔うために靖国に参る気持ちは理解できると繰り返し指摘してきた。

 一方で、戦争の指導者であるA級戦犯をまつる靖国神社に首相が参ることに対しては、国民にも違和感を抱く人は少なくない。まして侵略を受けた中国や、植民地だった韓国に快く思わない人が多いのは当然だとも考える。

 言論人や知識人の多くが首相の参拝に反対するのは、こうした理由からだ。

 会見の次のくだりも理解しがたい。

 「靖国の問題は外交問題にしない方がいい。私は交渉の扉を閉じたことは一度もない。一つの問題があるから中韓が会談の道を閉ざすのはあってはならない」

 首相は忘れたのだろうか。靖国参拝が「外交問題」になったのは、首相自身が01年の自民党総裁選の公約に「毎年8月15日の参拝」を掲げ、「心の問題」を政治の問題にしたからだ。日本遺族会の支持を得る狙いだったはずだ。

 中韓の反発などで、結果として終戦記念日の参拝はしていないものの、今度は毎年1回の参拝が信念だと譲らない。自ら火種を持ち込んでおきながら相手を批判し、「外交問題にしない方がいい」と説くのはいかにも身勝手である。

 深刻なのは、9月に首相が任期を終えた後も、こうした事態が続く可能性があることだ。

 たとえば、ポスト小泉と目される一人、安倍晋三氏は、官房長官に就く前に月刊誌にたびたび登場し、「だれがリーダーとなったとしても、国のために尊い命を犠牲にした人たちのために手を合わせることは、指導者としての責務だと思う」と首相の参拝を強く支持してきた。

 次の首相を選ぶ自民党総裁選が控えている。荒れ果ててしまったアジア外交をどう立て直すのか。その具体策こそが問われるべきであるのは、だれにでも理解できることだ。



「荒れ果ててしまったアジア外交」って、対支那、対南北朝鮮だけでしょ!
アジアサミットでの発言もシンガポールの新聞では評価されてるみたいで
すよ。
朝日さんの言ってることの方が「理解できぬ」ですわ。



これを受け、
1月6日付・産経新聞・産経抄


(前半略)
 ▼寒いといえば、五日付の「私たちこそ理解できぬ」と題した小泉首相の靖国神社参拝を批判した朝日新聞の社説は、読み返すほどに身震いがくるような内容だった。靖国参拝を批判するのは勝手だし、中国や韓国の立場を戦没者のご遺族よりも重視するかのような言論も自由だが、「全国の新聞のほとんどが参拝をやめるよう求めている」というのは誤植ではないかと何度も見直した。

 ▼確かに戦前戦後の一時期、かの新聞が業界のリーダー的な存在であり、部数でも日本一だったころがあった。だが今や朝日の言説に「ほとんどの新聞」や「言論人」が肯(うなず)く時代ではない。言論人イコール朝日人という論法は理解できない。第一、「私たち」とは誰なのか。

 ▼深い雪もいつかはとけ、豊かな実りをもたらす。必要なのは寒風に立ち向かう気構えと春を待つ忍耐心だ。戌年の今年、小欄は大いにほえるつもりだが、どこかの国の歓心を買おうとしているようには見られぬよう、心したい。


ナイス!>産経さん