メルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み 」(10/14;1255号)に面白そうな本の書評が掲載されていたので、紹介します。
(ま、いわゆる備忘録ですな。(^◇^;) )
いつものように歯切れのいい「岡田節」が全編を覆う。
要するに中国なるものの、実態とまやかし、かれらの言う「正史」とは、いったい如何なる中華的発想からきているのか、この一冊から知的冒険の旅が始まる。
副題にあるように「中華思想」とは、「負け惜しみの歴史観」である。
冒頭からこのような衝撃の内容ではじまる。「歴史とは中国語起源のものではない」、「日本語からの借り物」だとも。
うっ。ならばそれまでの歴史はやはり改竄とすり替えと想像? いえいえ、中国語の「歴史」は「役人のつける帳簿」のことです、とばっさり。
秦の始皇帝は初めて中国的帝国を出現させては見たが、「漢字は中国ではごく少数の支配階級の人、しかも特殊な訓練を受けた人しか読めず、決して大衆の文字ではなかった」と岡田氏はずばり本質を抉っている。
司馬遷が『史記』で言いたかったこととは、「要するに武帝こそが正統の天子と言うこと」でしかなく、しかし後世の「正史」とは、『史記』の通りに書かなければならず、一切の齟齬が認められない。つまりは「『史記』の通りでなければ歴史とは認められなくなった」
だから、中国では様々な変化、事件は逐一書くに値しないこと、「歴史の記録に値しないことになった」。
つまりはこういうことだ。岡田氏は断定する。
「司馬遷の『史記』によって、中国文明における歴史の性格は決定した。皇帝が統治する範囲が『天下』すなわち世界であり、『天下』だけが歴史の対象である」(62p)。
こうして目から鱗の歴史講座がつづく。熱血の語り口、独自の世界観、まさに岡田節の真骨頂が冴えている。
