正直に言うと、
私は、小学校にいい思い出がありません真顔

 

 

だから、
自分が「小学校の先生になりたい」と思う日が来るなんて、
本当に夢にも思っていませんでした。

 


 

小学生の頃、クラスでこんなことがありました。

 

 

ある日、クラスメイトの靴がなくなる事件がありました。
私は一生懸命、校内を探し回って、花壇の植込みに隠れていた靴を見つけました。

そのとき先生に言われた一言が、今でも忘れられません。

 

 

「こういうのは、隠した子が一番に見つけるものなんだよね」

 

 

……探偵気取りだったんでしょうか、

どういう意味で言われたのか、今でも分かりません。

 

 

ただ、「良いことをしたはずなのに、否定された」
その感覚だけが、ずっと心に残りました。

 


 

私は昔、アトピーがひどく、肌がガサガサでした。
それをクラスメイトから【きたない(笑)】とからかわれても、
先生が守ってくれた記憶はありません。

 

 

不登校だったクラスメイトが久しぶりに登校してきた日、
「おかえり」と声をかけたことがあります。

 

 

後日、保護者面談で母に伝えられた先生の言葉は、
「〇〇さんには、罪悪感があったのかもしれません」でした。

 

 

善意も、思いやりも、
どこかズレた解釈で処理されてしまう。

 

 

そんな出来事が、他にもたくさんあります。

 


 

だから、
「恩師」と呼べる先生はいません。

 

 

学校は、
安心できる場所でも、
守ってもらえる場所でもありませんでした。

 


 

それでも。

私が小学校の先生を目指すことになったきっかけは、
とてもささやかなものでした。

 

 

長女が小学校に入学したとき、
PTAから「絵本の読み聞かせボランティア」の募集がありました。

 

 

月に1回、15分程度。
子どもの様子も見られるし、無理なくできそうだなと思い、
軽い気持ちで参加してみたのが始まりです。

 


 

絵本を読んだり、紙芝居をしたり。

 

 

「夏休みどうだった?」
「運動会お疲れさま」
「もうすぐ音楽会だね」

 

 

そんな何気ない会話が、とても楽しかった。

 

 

子どもたちは
「なぁちゃん(長女)のママー!」と覚えてくれて、
児童クラブのお迎えのときに手を振ってくれたり、
「この前の絵本、おもしろかった!」と話しかけてくれたり。

 

 

その一つひとつが、
私の中で、少しずつ何かを動かしていきました。

 


 

もう一つ、大きな影響を受けたのが、
娘たちが所属しているチアリーディングクラブでの活動です。

 

 

ここについては、また改めて詳しく書きたいと思いますが、
子どもたちが努力して、失敗して、また立ち上がっていく姿を
すぐそばで見続ける中で、

 

 

「もっと子どもたちと関わりたい」
「成長のそばにいる大人でいたい」

 

 

そんな気持ちが、はっきりと形になっていきました。

 


 

そして気づいたんです。

 

 

小学校にいい思い出がない私だからこそ、
同じように傷つく子を見逃したくない。

 

 

善意を、思いやりを、
踏みにじられる側にさせたくない。

 

 

守られるべき子どもを、
ちゃんと守れる大人でいたい。

 


 

私は、
「先生に救われた子ども」ではありません。

 

 

でもだからこそ、
「救われなかった記憶」を知っている大人として、
教室に立ちたいと思いました。

 

 

この想いが、
私が小学校の先生を目指す理由です虹