上の文にあるように父は薬院の実家で最初に<アトリエてらた>の看板をあげている。
その屋号は六本松に越して来てからも続けられた。
しかし父はいつしか<てらた>から<てらだ>と「た」を濁る名を名乗るようになった。
絵に描くサインもTeradaとなっている。祖母はず~と「てらた」やけんね!」と言っていたのを思い出す。
で、看板。「看板を出し~」と書いてあるようにその当時から看板を掲げていた。
その看板は菊畑茂久馬さんがよっぱらって中州一番の高級クラブの看板を拝借してきたものである。
それを父に「結婚祝いたい!」とプレゼントしたもの。
看板の屋号部分を父が彫刻刀で削り自分で<アトリエてらた>とペンキで書いた。

その看板は薬院に掲げられて54年経った今、再びスポットをあてられる。

そして<菊畑茂久馬>さんはその後、世界的にも有名な芸術家となった頃の昭和47年、看板を拝借した有名クラブの内装デザイン制作の依頼をうけ、贅沢極まりない制作費をかけた高級クラブを制作した。















