昨日は長崎ピース文化祭の

茶道体験に行ってきました。

 

表千家と裏千家のお茶を頂いてきましたが

各々で違ったお味で、お茶菓子もとても美味しく

心が整う時間を過ごさせていただきました。

 

 

子ども達にお茶を飲ませるのに(お茶碗を割らないように…)

精一杯だった母は

肝心のお茶の写真を撮り忘れました。

 

眼鏡橋の口砂香(こうさこ)とざぼん漬けです。

ちなみに口砂香って長崎のお菓子だったんですね…。

小さい頃、よく仏壇に上がっていました。

砂糖菓子です。

 

 

さて、最近、自分の使命というものを

再び探し始めています。

正直、私の芸大での成績はほぼB判定です。

ただ、先日受けた講義のなかで

講師がお話しされていた

「画力よりも何よりもコミュニケーション能力」

という言葉が身に沁みまして…

 

自分の中に「在るもの」を

少しだけ棚卸してみました。

 

中学生の頃

文化祭の作品として

新聞紙をちぎってタイタニックの巨大ポスターを作るという提案をし

(とにかく当時の私はタイタニックの映画が大好きでした)

下絵は自分が描き

数人に新聞紙を貼る共同制作を経験したことがあります。

 

もちろん自分考案なので

自分がすべてプロデュースしなければならないのですが

結局これがアートディレクションだったのでしょうか?

当時の私このとはよく覚えていないけれど

よくみんなを仕切ったなと(たぶんみんながついてきてくれたんだと…)

思いました。

 

ですが、たしかにこれがコミュ力だったのでしょう。

謎のコミュ力を発揮できる私は

社会では、そのコミュ力で疲弊していくことになりますが

画力よりもコミュ力はなんとなく上回っていそうな気がしました。

 

次いで、自信のある力は

ヒーリング力です。

と言い切ってしまいましたが、

ヒーリング力というよりか

「子供心」がそのまま残っているのでしょう。

 

子供が通う小学校に行くと

必ずといっていいほど

子ども達に囲まれてしまいます。

そして一斉に声を掛けられるので

1人ずつ対応していきますが、

容赦のない声の嵐に

聖徳太子を尊敬してしまうのでした。

 

そんな自分の能力はきっと

「癒せる」から寄ってくるのかもしれないと考え

この能力もきっと画力をはるかに上回っているのかもしれないと考えるのでした。

 

以前から気になっていたものがあります。

それはホスピタルアート。

 

 

日本はこういった医療の現場でのアートが非常に遅れているのでは

と考えてしまいます。

 

 

患者さんもお医者さんも

同じ「人間」なんです。

 

そこに境界線も何もない。

本当は。

 

みんなに「心を緩める時間」が必要なのではないだろうか。

 

そこで感じるのが

「絵を飾ればいいってもんじゃない」

という心の声。

 

ヒーリングを放出するような

絵画が必要だと

私は節に思うのです。

 

以前4歳の娘が

私の通院する病院でみた絵画に

「怖い」と言っていました。

 

子供が怖がる絵画が

人を癒せるのだろうか。

芸術家にしかわからない世界を

絵画に精通しない人が見て

何の価値があるのだろうか。

 

きっとそれは通過されるだけのものになるだろうし

それでは意味がない。

 

私は絵こそ上手くないけれど

「癒し」については一応人間なので理解はできます。

 

だから思うんです。

もっと医療の現場に「ヒーリングを」

 

そして私一人のちからではどうにもならないことを。