私は幼い頃から協調性があまりなかったようで
Twitterにも書いた話で言えば、学校で
「皆さん」と声をかけられてもそこに自分が含まれると思っていなくて
「明日の持ち物」
というものはみんなが持ってくるけど自分が持ってくるものだとは思っていなかった。
小学校に入学して数ヶ月そういう生活をしていたら
「あなたは何も持ってこない、なんでなんだ」的な怒り方をされて
(え!私も持ってくるものだったんか!)
と内心驚いた。
母も放任ではあったが、たまに持ち物の心配をする事があって
「大丈夫、私は持って行かないから」と言ったら不思議そうな顔をしてたが
昔は親が学校の事に口出しをしない、先生も親にはそうそう指導をしない
生徒対担任という関係が強かったので私はマイペースなままだった。
0点を取っても(勉強してないからそうだろうな)と小1の時にすでに思っていた。
小2の時は「想像上の空想の船を書きましょう」と言われたけど
青い海にぽっかり浮かぶ小さな帆の船が描きたくなって普通の船を描いた。
とてもとても楽しかった。
しかし、先生はどうして普通の船を描いたの?と聞いてきたので
「描きたいものを描きました」と言った。
先生がその時思いついた題材より私が描きたいものを優先させるのは当たり前だと思っていた。
だって私は先生が好きだけど先生のために生きてはいないしそもそも
だって描きたいんだもん、と思ったから。
先生は「先生、悩んじゃうの。これを教室に貼ろうと思うのだけどみんなは想像して船を描いてるのにあなたは普通の船だから、あなたの絵だけ飾れなくても良い?」
と言ってきたので、ちょっと残念だったけど先生が困るなら仕方ないか、と変な方に理解のある子だった。
ここまでは前置きで、夏休みといえば毎日ラジオ体操がある。
私は第二次ベビーブーマーなので、どこの家にも子供がいて、野球ができる広場がラジオ体操の子供で埋まったほどだった。
昔から宵っぱりで寝つきの悪い子だった私は学校に行くのすらやっとだったのに
学校より早く起きるなんてできるはずもなく
そもそもあれは行きたい人が行くんだと思っていたので当然寝ていた。
母は一応起こしたっぽいが寝ていた。
数日すると友達というのか知り合いというのか近所の子が誘いにきた。
「ほら、お友達が待ってるから行きなさい」
と言われて玄関に行ったら友達というか知ってる子というか近所の子が立ってるので
絶望感を味わった。
協調性が無いとはいえ朝迎えにきてくれて、私を待っているという大変さはわかる。
私が遅れたらその真面目な子も遅れるのもわかる。
卑怯だ!と思いながら渋々行ったけどやっぱ面白くなかったので
また行かなくなった。
当時のラジオ体操のカードはマクドナルドから配られていて
夏が終わるとそれを持っていけばポテトのSサイズと交換してくれるシステムだった。
ポテトは真面目に行って判子で埋まっていたらもらえるのか
ただカードを持って行けば貰えるのかわからないけど
ポテトは欲しかったので起きてハンコだけ貰って帰る事もあったがそれはすぐにバレた。
あんなに子供がいるのに大人はラジオ体操に参加してるか、ハンコだけ貰いに来たかわかるので大人ってすごいと思った。
そんなに苦労しなきゃいけないならポテトも諦めよう、と思った私の夏休みだった。
夏は諦める事が多い。
ちなみにポテトとハンコの数はまったく関係なかった。
ラジオ体操をサボって家で寝ていて食べるポテトはうまかった。
というか、夏休みまで義務をつけるな。