私たちは卒業してそれぞれの道に進んだ。

卒業式の時のK先生は何を言ってどんな顔をしていたのかわからない。

多分いつも通り眼鏡は雲っていて、頭はボサボサだったのだろう。


しばらくたったのち、友人の結婚式で久しぶりにK先生と再会を果たした。


K先生は相変わらず度の強い指紋ベタベタの眼鏡で

いやあ〜めでたいめでたい〜と喜んでいた。

(この人の奥さんは眼鏡のこと気にしないのかな)

などと思わないわけではなかったが、眼鏡より本体が元気そうでよかった。


K先生は恩師としてスピーチに立ち


「新婦は大変、学業優秀で」


の下りで私たち同級生を笑わせた。


お祝いスピーチは絶対に何か褒めなきゃいけないので

褒めれば褒めるほど私たちは笑い転げ

K先生はこちらの円卓を見て


「ちょっと、あなたたち、ちゃんと聞きなさいよ」


と諭しながらも自分も笑っってんだから

もう仕方ないのでみんなで笑った。


余談だけれどその後、新婦がTV出演をした時のVTRが流れ

その業界ならわかる、やっちゃいけない事をやっていて

会場はもっと大爆笑だった。

当時の新婦はやんちゃで肝が太く、若干厚かましさがあったが

世の中不思議なもので真面目な人が愛されるわけではない

間違いだらけの人でも深く愛され笑顔に囲まれることがあるのだ。


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次にK先生の近況を聞いたのはそれからかなり後


癌を患い進行が早いらしい、という話を人づてに聞いた。


私は彼の教員人生の中で出来の悪い方の生徒だったので

先生を励ましたいと思い手紙を書いてお花を送った


すぐにK先生から電話が来た


K先生は電話の向こうで泣いていた

「先生どうしたの、辛いの?」

と聞いたら泣きながら声を出した。


「君の気持ちが嬉しいんだ」




「入院の合間に家に帰るから是非家に遊びに来ないか」と言われ

勢いで日にちが決まった。



k先生のお宅訪問の日、先生は駅のホームまで迎えにきてくれた


わざわざホームまで、すみませんというと


「こっから出入り自由だからね」


と言ってホームの外側フェンスの隙間を指差してた。


「いや、先生これはフェンスを無理矢理押し曲げた隙間でJRの出口じゃないです」


というと


「良いんだ」


と言い


「こっちに側に出口を作らないJRが悪い」


って、ナチュラルにJR批判をかました。


切符どうしたらいいですか?


というと


「捨てなさい」



子曰く「JRが悪いのだからフェンスの隙間から出て切符は捨てなさい」


この時私は初めて素直にK先生の指示に従った。


そして余命宣告をされている先生は「荷物重いでしょう」と言い

私の鞄を奪って歩き出した。




それはとても天気が良く、のどかでちょっと汗ばむ日のできごとでした。