私が何故チケット争奪戦に加わることになったかと言うと
我が家の電話が当時珍しいプッシュ式の電話だったから
そして大阪城ホールにくるような外タレ(ジョージマイケル)のチケットも取れた事で
(こいつはできる)と思われたのだ
当時は黒電話の家がほとんどで、ダイヤルをジーコロジーコロ(この表現わかるだろうか)毎回回さないといけないが
プッシュ式の場合はリダイヤルボタンがあって、今や当たり前だけど
電話がつながりにくい時に何度もかけ直すのに最強の武器だったのだ。
当時はもちろんインターネットなどなく
興行のチケット情報ははチケットぴあを買うか、新聞の広告を見るか、CMで見た電話番号を暗記する(ビデオなどない)かだった。
チケット販売当日、前もって電話番号をもらっていた私は(lineなどないので手書きのメモ)
チケット販売前に一度ダイヤルし、時間ピッタリにリダイヤルできるようにスタンバイした。
しかし1時間掛け続けるが一向に繋がらず、ふと我に返った
「私は貴重な日曜日を姉の友人のために何で犠牲にしてるんだろう」
結局姉の友人もチケットは取れず
ホイットニーの初来日もどうだったかわからずじまいで
次にホイットニーを見かけたのは
映画の大成功が先だったか
ボビーブラウンとの結婚が先だったかわからないけど
ボビーブラウンと結婚した時には驚いた
何故かわからないけど、ホイットニーはこう言う人と結婚するとは思ってなかったのだ。
なんか黒人(昔はアフリカ系アメリカ人をこう呼んだ)でダンスするの人って悪っぽいと当時まだ子供だった私は思ったのだ。
そしてマスコミも「ボビーがホイットニーに悪い影響を与えている」
と盛んに言っていた。
本当のところなどわかるわけもないが
ホイットニーは外見も内面もとても可愛らしい女性だったと思う。
その「歌のうまい女の子」ショウビジネスの世界に入り込んでしまった
ちょっと要領の良いズルい女の子だったらマスコミや世間が眉をひそめるような遊びをして
鬱憤を晴らすのかもしれない
でも彼女は歌うために家族の為に才能と生命の前借りをしてしまったように思う。
そんな自分を見られない為には、ボビーがやんちゃで目立っている方がホイットニーは楽だったのではないかと思うのだ。