アリとバッタ | 山犬日記 - 高知在住都民の独り言

山犬日記 - 高知在住都民の独り言

2008年2月から介護赴任して9年が過ぎました。
2016年6月から犬と暮らしています。

尚、当ブログの内容と関係のないコメントは削除させていただきます。

庭にでる。
ゴーヤにはいろんな虫がやってくる。

{7140DDBF-5C93-4703-BE9D-92BFB8D25013:01}
アリ^^;(ピンボケ…

{5D86B496-B0CF-44EC-B987-E8873AF73AB2:01}
バッタ(^_^)



「アリとキリギリス」は、
イソップ寓話のひとつ。

元は「アリとセミ」だった。
{59CE622C-E021-4E8B-8301-C1B7504DE42B:01}

セミは熱帯・亜熱帯に生息し、
ギリシアなど地中海沿岸にも
生息していて、古代ギリシアでは
文学でも取り扱われているが、
ヨーロッパ北部ではあまり
なじみが無い昆虫のため、
ギリシアからアルプス以北に
伝えられる翻訳過程で改編された。

日本に伝わった寓話はアルプス
以北からのものであるため、
日本では『アリとキリギリス』で
広まっている。


◼️あらすじ

{46D15F7E-B63A-4F76-86E3-78C26C2272AF:01}

夏の間、アリたちは冬の食料を
蓄えるために働き続け、
キリギリスはバイオリンを弾き
歌を歌って過ごす。

やがて冬が来て、キリギリスは
食べ物を探すが見つからず、
最後にアリたちに乞い、
食べ物を分けてもらおうとするが、
アリは

「夏には歌っていたんだから、
冬には踊ったらどうだい?」

と、食べ物を分けることを拒否し、
キリギリスは飢え死んでしまう。

一方で、アリが慈悲心(哀れみの心)
をもって食べ物を分けてあげるという
改変が古くからある。

食べ物を分けることを拒否し、
キリギリスが飢え死にするのは
残酷だというので、
アリは食べ物を恵み、

「私は、夏にせっせと働いていた時、
あなたに笑われたアリです。あなたは
遊び呆けて何のそなえもしなかった
から、こうなったのですよ」

とキリギリスに告げ、それを機に
キリギリスは心を入れ替えて
働くようになるなどという展開に
改変される場合もある。

この展開での現代ものでよく
知られた作品としては、
1934年にウォルト・ディズニーが
シリー・シンフォニーシリーズの
一品として制作した短編映画がある。

この作品では当時ニューディール政策
により社会保障制度の導入を進めて
いたフランクリン・ルーズベルト政権
への政治的配慮から、アリが
食べ物を分けてあげる代わりに
キリギリスがバイオリンを演奏する
という結末に改変されている。

◼️教訓

この寓話には二つの寓意がある。

一つは、キリギリスのように将来の
危機への備えを怠ると、その将来が
訪れた時に非常に困ることになる
ので、アリのように将来の危機の事を
常に考え、行動し準備をしておくのが
良いというもの。

 二つ目はアリのように夏にせこせこ
ためこんでいる者というのは、
餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を
差し伸べないほど冷酷で独善的なけち
であるのが常だ、というものである。

また功利主義の観点からは、生き物で
ある以上最終的に死は避けられない
ので、食料蓄積のみで生を終えたアリ
より、自らの快楽を追及し生を謳歌
したキリギリスの方が善とされる。


◼️個人的な感想

この教訓は現代を生きるものに取って
とても重要であるが、
逆説的に捉えると更に面白い。

「将来の危機への備えを怠ると
将来困ってしまう」は、

「将来のことばかり備えていると
今が潰れてしまう」

となり、

「夏にせこせこため込んでいる者
(自分のことばかり考えて余裕なく
行動している者)というのは
餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を
差し伸べないほど冷酷で独善的な
けちであるのが常だ」は、

「他人の事ばかり一生懸命になって
自分の事を怠けている者(お人好し)
は、『あの人はいい人だ』などと
褒められて気持ちはいいかも
知れないが、自分が死にそうになった
時に他人が手を差し伸べてくれるか
どうかは別の問題なので、
お人好しは目的や期待を持たず
あくまで自己満足でするべきだ」

となる。

個人的には後者は実に耳が痛い(笑)