スポーツや趣味或いは仕事や人間関係においても、やっていることが上手く行かない時は自分の興味、関心は結果に向けられる。良い結果を出そうと、あれこれ手を出し、益々酷い結果を招くことがよくある。

それではいけないと、あれこれ考えみようとしても、自分が見えてないのだから、答えを掴める筈はない。

そんな時にすることは2つ。1つは何もしないで自分や自分の状況を冷静に見つめて知ること。何故こういう結果になっているのか見えてくることもある。

2つ目は、知識を得ること。興味を持てなかった知識も知るだけはという程度で知ってみよう。得るものは必ずある。また、知っていたつもりの知識であっても見直してみる機会を作る。案外履き違えて理解していたと気付くものだ。自分が見えて来た時こそ、過去に身につけてきた知識を振り返る価値がある。
と、自分を戒めている最中 ♪

この一年、ネットニュースでは中韓の日本へのパッシングに関する話題が一段と増えた。読者の増加はマスコミの格好な記事となり、読者を煽り続ける。「何々というスレッドが立てられ、これに対しこれこれという書き込みがユーザーから多く寄せられた」は、お決まりの冒頭のコメント。読んでいると、どちらの国の兵力が強いか等、結果を問うスレッドが増えてきているように思えます。

一方、国内のニュースに目を向けると、何々によって経済効果はこのくらいあるとか無いとか、これこれがおきるとこの位の人が犠牲になる、或いはその対策としてこれだけの税金が必要となるなど、結果を推測する記事が目立ってきています。捻れからの脱却だけでは説明がつかないものもある気がしています。

地方の新聞やTVを眺めていても、人口の減少に歯止めをかける話や、県外への売り込みのアピールの話題には事欠かかない。これらも視点が結果に偏重していると言えないだろうか。県や市が推進する前とは言わないが、「何でこうなっている?何でこうなる?」という意見や議論をもっとリアルに紹介してもらいたいと思う時がよくあります。

自分や自分達のことや身の回りで起きていることで知らないことは沢山ある筈です。それらを克服し、明日への成長を望むのは良いとしても、今日に至る歴史や失敗したことを抜きにして成功した話題や期待する話題が飛び交っている気がします。

同じことが何年か何十年か前に話題になったこともあったはず。その時の情勢と今の状況の違い、要望の切実さの違いなど、その紹介も無ければ全ては今始まった新鮮な話題に思えます。でも掘り起こせば、実際は何年も続いてきた話題であったかも知れない。

こうして常に新たな話題に思わせてしまう背景には、新しいものとその結果に目を奪われている読者の目があるからでしょうか?

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