三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい) | 山犬日記 - 高知在住都民の独り言

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色々調べていくと面白い。

中国の政権は北宋崩壊(1127年)後の元(モンゴル帝国に受け継がれた遊牧国家)から明(江南から誕生した王朝)を経て、清(1636年に満洲において建国され、1644年~1912年まで)が最後の統一王朝として終わる。

そのはるか前の古代、周の時代(前1046頃~前256)に定めた独特の拝礼作法がある。

「九拝」と呼ばれ、何度もお辞儀をして、深い敬意や謝意を表す。

九種の礼拝形式には稽首(けいしゅ)・頓首(とんしゆ)・空首・振動・吉拝・凶拝・奇拝・褒拝・粛拝がある。

これが時代を経て変化するが、膝まづいて頭を地面に付けるまでお辞儀を繰り返すことはその象徴的なスタイルである。

知られたところで「三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)」というのがある。中国清朝皇帝の前でとる臣下の礼の1つで単に三跪九叩頭または三跪九叩と言われる場合もある。

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「叩頭」とは額を地面に打ち付けて行う礼である。写真は参考としての磕頭(カイトウ、頭をたれて深く感謝を意味する場合にも使用される)。

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地面に頭を付けるのは、頭額を物に激突させて自殺するという中国特有の習俗が背景にあるようだ。

三跪九叩頭の礼では、「跪」の号令で跪き、3回「叩頭」をする。これを1セットとしこれを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。

紫禁城の前庭での国事祭礼で皇帝の前で臣下が一斉におこなった。

琉球王朝や李氏朝鮮では、中国からの勅使に対し、王が王都の郊外に出向き、自ら三跪九叩頭の礼で迎えていた。迎恩門(げいおんもん)である。

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李氏朝鮮でこれには屈辱的な話があるが、韓国内では余り語られることはなく、知らない人もいるという。

1636年、後金のハーン・ホンタイジが国号を清として新たにその皇帝に即位し、李氏朝鮮に朝貢と明への出兵を求めた。朝鮮王仁祖が拒絶したため、ホンタイジは直ちに兵をあげ、朝鮮軍は為すすべも無く45日で降伏した。和議の条件の1つに大清皇帝功徳碑を建立させた。仁祖はこの碑を建てた三田渡の受降壇で、ホンタイジに向かって三跪九叩頭の礼を行い、許しを乞うた。

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(大清皇帝功徳碑…確かに文化財としては大仰に扱われていない感じがする)

迎恩門は日清戦争の後、1895年の下関条約で、清の冊封体制から李氏朝鮮は離脱し独立。独立協会は迎恩門を取り壊し、1897年に独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てたことで知られる。

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そのことばかりが話されるが、琉球王国については日本ではあまり話題にならなっていない。

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琉球王朝も冊封使を迎えるために立派な門 通称守礼門をつくり、「守禮之邦」の扁額を掲げ、宮殿にて、この三跪九叩頭の礼をとっていた。

「守禮之邦」の守禮とは中国皇帝に対する礼を意味し、邦とは小さい国という意味であるが、李氏朝鮮ほどの屈辱的な意味合いはなかったのだろう。


それにしても中国が他国にこの拝礼(三跪九叩頭の礼)を強いることには、中華思想の本質を垣間見る気がする。

イギリスに対しても同じ事を求めていた。

1793年、イギリスの外交官ジョージ・マカートニーは、乾隆帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、これを拒否してイギリス流の儀礼を押し通した。貿易改善交渉、条約締結は拒絶され、帰国した。1813年には初代アマースト伯爵ウィリアム・アマースト(William Amherst)がやはり三跪九叩頭の礼を拒否し、嘉慶帝への謁見が許されなかった。

帝国主義の覇者イギリスのプライドと中華思想のプライドがぶつかり合う場面として面白い。

そしてこれは留まることを知らない。

1873年(明治6年)台湾出兵の処理に赴いた特命全権大使副島種臣は、同治帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、古典(五倫)を引用して立礼を主張し、最終的に立礼で通した。

こうした面を見てくると、近隣の国民性の一部が見えてくる気がする。

膝まづいて頭を地面に付けるように礼をすることが付き合う上での「当たり前」なことなのかも知れない。

もしそうであれば「会話の窓口は開けている」などと幾ら言っても仕方がない。

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また、長年これを強いられた国民にすれば、謝ることは、膝まづいて頭を地面に付けるという屈辱的な行為を持って示すことが「当たり前」なのかも知れない。

もしそうなら、あれこれ言わず、お手本を示してほしい。

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