魚梁瀬ダムの先、千本山の登り口迄行ってきました。
ここへは2度目ですが、ドライブするには山奥過ぎて呆れます。
展望台はここから更に1時間、体力を考えて断念しました。
ドライブの途中で大きな鯉(ニゴイ?)、
着いてからはタヌキ、
帰り道ではニホンザル
と遭遇しました。
魚梁瀬杉が全国に名を馳せたのは豊臣秀吉の時代です。京都の洛陽東山方広寺大仏殿を建立する際に、土佐の大名、長宗我部元親が魚梁瀬杉をはじめとする土佐の良材を献上したことによります。歴史の本を見ると、それ以前の15世紀中頃にはすでに奈半利や安田の港から木材が船で畿内へ運ばれていたそうです。その頃から木材が藩の重要な経済資源になっていました。徳川時代に入ってからも京都御所や大阪城、駿府城、二条城、江戸城の普請のために朝廷、幕府に多くの杉が魚梁瀬から献上されたといいます。土佐藩では、木を大切に守り育てるために「御留木(おとめぎ)制度」を設け、「御留山」を指定し厳重な管理をしていました。
不思議なのはその頃、奈半利や安田の港迄どうやって運んだのでしょう?
川と言っても安田川は岩だらけ。深さもそれほど無く、とても筏を組んだりできそうにありません。奈半利川なら川幅も広くなりますが、それにしても…。
森林鉄道建設後ならまだイメージもできますけど…。
城の石垣などもそうですが昔の人のしたことで「運送」は誠にもってミステリアス。
陸の孤島だから輸送が難点で、とよく聞きますが、ひょっとしたら昔の土佐人は輸送に関して特別な才覚と知恵を持っていたのでは?
と、思いを馳せた一日でした。
流石に水はちべたかった










