戦地の笑顔 | 山犬日記 - 高知在住都民の独り言

山犬日記 - 高知在住都民の独り言

2008年2月から介護赴任して9年が過ぎました。
2016年6月から犬と暮らしています。

尚、当ブログの内容と関係のないコメントは削除させていただきます。


    認識を新たにした文章に出会いました。

高野秀行著「謎の独立国家ソマリランドそして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア」から

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    よくアフリカの飢餓や難民というと、やせこけて蝿がたかった子供、赤ん坊を抱いた目が虚ろな母親、ぼろぼろの服を着て足を引きずっている老人などが浮かぶ。そういう写真ばかり見せられているせいである。ところが、実際には、ぱっと見で「難民」とわかる人はめったにいない。
    水浴びやトイレ、洗濯などには苦労しているだろうが、不思議とこざっぱりしている。
    キャンプに蝿が多いというのはたしかだが、蝿なんて食べ物があるところ、動物がいるところにはどこでも普通にいる。空港だってホテルだっている。私もよくたかられている。
    「上半身裸でやせこけた子供」というのも別に悲惨ではない。暑いところだし、上半身裸の子供は珍しくない。日本みたいにお菓子をバクバク食べたりしてないから、そんなに太ってもいない。
    なによりもイメージとちがうのは、笑顔の人が多いということだ。
    この本でしつこく繰り返しているように、ソマリ人は男ですら写真に撮られることが嫌いだ。ましてや、女性は写真を拒否する人が多い。ムスリム(イスラム教徒)の女性は見知らぬ男に写真を撮られるのをよくないとしているから、なおさらである。
    ときには撮らせてくれる人もいるが、だいたいカメラの前で顔が強ばる。まあ、私たち日本人だって外国人にいきなり「写真を撮らせて」と来られたら緊張して固くなるから当然だ。プロのカメラマンならまだしも、私など素人なのでいったん強ばった人の表情をほぐすことなどできない。
    だから、ソマリ・エリアでは笑顔の女性を撮るのがとても難しいのだが、難民キャンプでは話が別である。カメラを向けると、みんな嫌がる様子もなく、にこにこと微笑む。
    ケニアでもそうだし、ここでもそうだ。
    おかげで、今回私が撮った中で、笑顔の女性が写っているのは九割方難民の写真ということになってしまった。

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    でも、笑顔の難民なんてマスコミやNGOなどのレポートで見たことがない。もしかしたら、たまたま私と出会う難民の人たちが揃いも揃ってフレンドリーな人だったのかも…というかすかな疑念も消えずにいたのだが、瀧野さんの写真もやはり満面の笑みが並んでいた。
    難民だけではない。病院にかつぎこまれた患者やさな家族にもそういう女性がいた。
    いちばん強烈だったのは、背中一面が真っ赤に焼けただれた子供を抱いた若い母親が嬉しそうに微笑んでいる写真だった。
「この子は近くで爆弾が炸裂して、大やけどを負ったらしいんです。ぼくが見ても『これ、ちょっとヤバいんとちゃう?』って思ったんだけど、にこにこしてるんですよねぇ。」と瀧野さんは言った。
    そう言われて思い出したが、昔、タイ・ミャンマーの国境に行ったとき、「ミャンマー政府軍に村を焼かれて逃げてきた」という少数民族の人たちに出会った。彼らの村では男性が二人殺され、女性も数人がレイプされたというが、そう話しながらも、カメラを向けるとにこっと微笑んだものだ。
    なぜ、難民や重傷者の家族が笑顔を見せるのか。
    それはきっとホッとしているのだと思う。彼らは戦乱や飢饉から必死の思いで逃れてきた。難民キャンプにしても病院にしても、やっとたどりついた「安全地帯」なのだ。そして、私たちのようにカメラを構える外国人は「自分たちを助けてくれる人」と無意識的に認識するのだろう。だから、警戒心もなく、むしろ仲良くしたいという意思表示で微笑むのだろう。
    これが現場のリアリティである。
    ところがこんな写真や映像は日本では(そしておそらく欧米諸国でも)見ることはできない。いつも見せられるまのは、悲惨で可哀想な人たちばかりだ。
    理由は簡単で、そういうイメージを出さないと同情が集まらず、寄付金も集まらないからだろう。国連やNGOがそういう写真や映像を出す場合、純然たる「プロパガンダ」と考えてよい。
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知らぬことばかりですよね。

大袈裟に泣いたり、簡単に涙を流すのも滑稽に思えてなりません。