コラムから | 山犬日記 - 高知在住都民の独り言

山犬日記 - 高知在住都民の独り言

2008年2月から介護赴任して9年が過ぎました。
2016年6月から犬と暮らしています。

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コラムから

【高知新聞】
13世紀のチベットにサキャ・パンディタ(サキャの大学者)と称されたチベット仏教の指導者がいた。
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(Sa'gya Paṇḍita)
彼の格言集は広く読まれ、内容に「通暁している人」というのは学問を積んだ教養人の代名詞だという(岩波文庫)。格言には欲望に触れているものがいくつかあるが、その一つに「欲望の奴隷となった者は、命を冒しても財を求める。足るを知った者は財を得ても、心安らかに人に施す」。中国の「老子」にある「足るを知る者は富む」に通じる。

チベット仏教を国教とするヒマラヤのブータンで初の政権交代が起きた。
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心の豊かさを示す「国民総幸福量(GNH)」を追求する政策を進める同国だが、若者の失業や地域格差を背景に変革への民意が表れた形だ。
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97%が幸せと答えた国民の心理に変化をもたらしたのは、テレビ解禁などで進む情報化のようだ。新首相就任が確実な野党党首はGNH追求の国是を堅持するというが、一度火が付いた欲望は際限なく高まっていく可能性がある。幸せの基準も変化は避けられないだろう。
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ブータンをヒントに、日本や欧米などで「豊かさの質」の新たな指標づくりが活発になった。土佐経済同友会も県民総幸福度の指標導入に取り組んでいる。母国の動きは気になるが、質がより問われているのは先進国。各国、各地域、そして住民それぞれに幸せの形があってよい。選挙は「豊かさとは」を考える場でもある。


これを読んで引っかかったことがある。

今、我々に問われているのは「豊かさの質」では無く「貧しさの質」では?

ハッキリ言って、世の中で「豊かさの質」について語られ始めて既に何年経っているのか。

社会の発展と引き換えに社会が生み出した貧しさ、個人に染み付いてしまった貧しさの質が問題なのではないだろうか。

そしてその質がなかなか見えてこないのが実態であり、気づかない個人と気づかせようとしない社会の仕組みが問題なのだと思う。

歩んできた過去を追って見つめ直し、個人の生きてきた道を振り返り、反省すべきは反省する。

そのことに一言も触れずに豊かさの質を語ろうとするのは、それこそ貧しさから抜け出せていない現れではないのか、と読めてしまう。

コラムという性格上、筆者の思うままに、「貧しさの質」について語って欲しいと思った次第。

その上での政治、政党、選挙について言わずもがなである。


【言わずもがな 】
①言う必要のないこと。むしろ言わない方がよいこと。「━のことを言う」 ②言うまでもないこと。もちろん。「大人は━,子供さえ知っている」
三省堂 大辞林 第三版

だんだん面倒臭いお爺さんになってきた…( ´艸`)

暑さのせいも有るのかも。