転校生の経験 | seawinterのブログ

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1959年(昭和34)父の仕事の関係で 中学2年生で大阪のY市に転校した。

 

手元のCASIOの小さな電卓で計算すると60年前と出た。

 

時の流れ こそ 不可思議なものは無い。

 

何時でも鮮明に思い出せる記憶の一つですが、やはり、自分だけで やり遂げた事では無いような、不思議な経験でした。

 

福岡県の本当に 田舎 から 転校したのに、言葉のイントネーションから、関東からと勘違いされて、中々打ち解けてもらえなかった。

 

けれど、福岡県の田舎とわかると、手を返したように、仲良くしてくれた。

 

あの時の(人間って、変わり身早いな~) と 感じた事は 忘れられない。

 

そして、大きなテストの結果の順位は その当時 張り出された。

 

内気な私は 知らない人とは中々打ち解けられず、可愛くて、人気者のKさんの処には皆が集まっていたので、いつも、笑いが絶えないところと べったりとくっついていた。

 

転校したところは、微妙な土地柄で 一方は大阪の会社社長の自宅が 多く集まっていたこともあり、貧富の差は大きい所だった。

 

ある男子が いつも目を光らせて 見られていた事は 特筆の件です。

 

しかし、彼は事情で成績は芳しく無かった。

 

田舎では学年で何番が、こちらではクラスで何番 という ショックな現実を突きつけられた。

 

これはならぬと 奮起して猛勉強に突入し、毎回 順位を更新させた。

 

その当時は 成績は 自分を守る 一手であった 事に 幸いした。

 

仕事をして生きて行きたいという目標があったので、地区のNO-1の高校に進学して、優良企業に就職したかったのです。

 

下手したら イジメの対象だった私 と 考えると 怖いのですが、昨日のカラオケで 歌われた歌詞のドラマが 荒れた中学校として 引き起こした事件こそが 当校 だった。

 

高校に進学した年に それは起きて、やがて、全国で吹き荒れたのです。

 

何故 知ったか ですが、会社の同じ課に就職してきた1年後輩によって、真実を聞きました。

 

大学を卒業して入社ですから、かなり、時は過ぎておりましたが、生々しい話は あの同級生の無言の怖さを思い出してしまいました。

 

卒業以来 一度も同窓会は無く、再会した方々は 少ない友人だけです。

 

社会は変わりつつあり、言葉に出来ない事柄で、説明が少なくてゴメンナサイ。

 

仲良く してくれた 彼女に お礼方々お会いしたいと電話したら、昔の面影を守りたいから 会いたくないと断られた。

 

彼女はお金持ちの お嬢様で 良いところに嫁ぎ、食べすぎて、巨漢になっているらしい との 噂を聞きました。

 

幸せな人生だったらしい事に ホッとしました。

 

彼女が居なかったら、きっと、イジメの対象になってしまったかも しれないからです。

 

明るい笑い声 が 悪 を遠ざけた かも と いつも思い出しては、上を向いて笑い飛ばそうとしております。

 

そして、学年の影のボスからの 「 転校生の傍を離れるな! 」 の 指令が出ていたそうです。

 

彼女が そう言って 秘密の指令だった と 打ち明けてくれました。

 

直接的な言葉は まったく アリマセンでしたが、すべて 無言のうちに 平安は 保たれたのです。

 

影のボスの存在は 60年間 闇の中です。

 

彼女と その闇のボスの存在によって、今の私は 心にも身体にも 傷を持つこと無く 存在しえております。

 

青春という言葉の裏には 底の深い 人間模様が想像されますが、浮いた話は全く無く スリリングな2年間でした。

 

クラスで5名しか入試が受けられない その関門を突破すべく、集中して猛勉強しました。

 

その関門こそが 人生で一番大きな 戦いだったと 思います。

 

しかし、その事から、学ぶ事の面白さに目覚め、どんな時でも 学んで過ごす「新しい私」 が 誕生しておりました。

 

いいか悪いか? わかりませんが、欠点だらけの私です。

 

そう! 自己中と認識しております。

 

こうして、時間に制限されながら、皆さまの記事に たどり着き、いろいろな経験談を読ませて頂くことで 新しい見聞を広げさせて頂こうとしております。

 

本当にありがとう御座います。m(__)m

 

 

皆さま方の 密かな体験談こそ 胸にジンと来てしまう時が 生きている証拠! です。