人間の内なる心には、如何ともしがたい 偏見 という 壁 が存在している。
江戸時代には 身分制度 が治世に用いられており、生まれながらに仕事も決められていたという社会であった。
明治維新で武家社会は 崩壊したが、長~~い島国の国民であった 我々の祖先は、無意識のうちに それらを幼き時より 見せつけて来た経緯があるので、誰が 悪の元凶か、という犯人すら特定出来ない。
しかし、悪の道に走るモノへの 罪の意識としてブレーキ代わりだったにせよ、当事者の気持ちは地獄より ツラい 環境となりうる。
誰でも、人には言えない過去が存在し、都会なれば、明かされた秘密は 地球を回る速度でスキャンダルは走る。
明かされたく無い秘密や事件そのものは、長い間の苦しみからの開放なのか? 激しい怒りと共に存在し得うる 不幸 という 花 でもある。
人の不幸は蜜の味 と言われる所以であろう。
女性もかって専門職にはつけないという不公平な時期が続いた。
仕事には、責任がついてまわる、厳しい状況をクリアしなければ、決して、許されない 道であった。
この頃は、女性も責任者として、沢山の方々が働いておられるのを見て、時代の変遷を感じる。
短気 が そうしたのであろう、私は待てなかった。
しかし、待たなくて 良かった。 到底 間に合う状況ではなかった。
たとえ 山頭火のように・・・・・と書いたけれど、おこがましい事を書いてしまってと、あわてている。
青木 繁 画伯の 「海の幸」 が大好きな私は、図画の時間の教科書にあった 絵の写真 につい心を奪われていたのが、母の愚痴 (戦争中、着物がすべて、母乳がわりの ”おもゆ” に変わった) が 経緯に、ひょんな事から、現実 は 滑り出した。
無意識の 社会 への 反抗 が、 根に存在していた。
多分、きっと、 私と同じ気持ちの人は 多かっただろうと 推測する。
でないと、社会は、男女機会均等法 などという法律は制定しないだろう。
絵かきになったことは後悔はしていない。男 か 女 で 絵は 判断されることは無い。
有名になることも望んだことは無い。
只、しっかりと画業に励みかったし、技術も開発したかった。
義息子を亡くして、絶望している時では無いと自分にアクセルを踏みたいところだが、今はなぜだか、わき道にそれて 書くことに夢中である。
偏見にとらわれているときでも無いのだが、内なる心 は、自らに歯向かっているのである。
偏見の谷を 何回も降りて、又、高みをめざして登る。
この世とやらを創生された 神様は 人間に自ら求むる者としての 苦行を 与えられたのだろうか?
誰の心の中にも住み着いている 偏見 は、 誰を幸せにするというのか?!
私の敵は、その偏見そのものだと ようやく 我が敵 を見つけた次第なのである。
偏見の壁が 存在しうる限り、世界には 平和は 遠い。
平和とは、人と人が 心の中から 慈しむ 関係であってこその 虚構の世界なのかも・・・・・・・
見てみて下さい。 周りを。
沢山の 偏見と 軽蔑 が 充満している 現実 こそが 問題なのでしょう。
我々の現実は、 まだまだ、 成長段階であり、 真の豊かさも 霧の中に仕舞われているのだろう。
命は、 時を得て、 新しく肉体を得て、循環しながら 魂は 存続 して行くならば、 「言いたい!」
偏見の壁を越えなければ、本当に豊かな社会 とは 言えない。
先ずは、自らの偏見 の中身 から 卒業することを今後の目標に加えよう。
届きますよう!! 地球上のすべての 人種 の 方々へ
偏見の壁をなくしませんか。