草川信、海沼実の歌碑を訪ねて何度か行った松代町の真田公園に大きな自然石が据えられています。昭和40年(1965)から5年間にわたって発生した「松代群発地震」を記録するモニュメントです。説明書きを紹介します。

 



○昭和四十年八月松代町付近を震源地とする地震が発生し その影響範囲は東北信地方一帯に及んだ  この地震は「松代群発地震」と名付けられ 有感地震は六万二千余回を数え 昭和四五年六月に至り地震活動はほぼ終息した  この間住民の不安は大きく 当時識者は地震に対処する「学問がほしい」と嘆いた この巨石は震源地東条地籍から運ばれたものである 地震を鎮め住民生活の安定と平和への願いを込めてここに設置した    昭和四十七年十一月  長野市

 松代は本州の中央部に横たわるフォッサマグナ(中央地溝帯)の真ん中にあることから、戦時中に掘られた松代大本営跡に設置された気象庁の地震観測所でずっと観測が続けられています。

 私にとっての松代群発地震は記憶に鮮明です。高校3年4月、長野市の城山公園を歩いていて震度5の地震に遭遇し思わず立ち止まってしまいました。その前年の6月に発生した関東大震災以来の規模といわれる新潟地震の時は高校の社会科の授業中で、窓から見える平屋の図書館の瓦屋根が大きくうねっている光景が今でも目に焼き付いています。新潟地震の規模はM.7.5、震度5で新潟地方に深い爪痕を残しました。 長野市は震度4でした。

 




 東日本大震災から1年が経ちました。ついさっきも千葉沖で震度5強の地震発生のニュースが入りました。地震国日本です。

 マグニチュード9という巨大地震による大津波が東日本の太平洋岸を襲い、1万5千人以上の死者と4千人近い行方不明者がでる惨事となりました。糅てて加えて安全々々と喧伝され全国に50基以上も建てられた原発が醜くもその正体を露呈し、多数の避難民を出し、世界が原発に注目し廃絶決定の国さえ出ています。

 学者も業者も役人も政治家も「想定外」と無責任極まりない保身の体。対策会議の議事録さえ無いテイタラク。半減期30年の数倍の年月、人の染色体を破壊し癌化させたり遺伝的影響を与える放射線を出し続ける炉心溶解。後世に付けを回さない国債残高云々の課題より数段緊急性と重要性の高い問題なのに、まだ悠長な除染(決して取り除けるものではない。「移染」)だ、電力不足が心配だなどと目先の課題だけに目を奪われていて将来の方向性が何も打ち出されていません。

 No More Fukushima ! No More Genpatsu,Atomic Power!  私達も日常生活の利便性の追求やエネルギー消費の在り方を改めて行かなければなりません。





荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)