長野県須坂市には小林一茶の句碑が一基だけあります。一茶の研究者で写真家の越統太郎氏が自宅前に立てたもので、須坂市の目抜き通り、横町中央交差点に面してありました。


  句碑がなかなか見つけられず、「須坂市 蔵のまち観光交流センター」で伺うと親切に案内して下さり、丁度そこに犬の散歩から帰られた越家の奥様に出合うことができ、いろいろ親切にしていただきました。


  故郷に 似たる山をかぞへて 月見哉  (「西国紀行」) 

 

 一茶は寛政4年(1792、一茶30才)から寛政10年(1798、一茶36才)までの足かけ7年、九州、四国、関西方面を俳諧行脚しています。「西国紀行」は寛政7年(1795年、一茶33才)讃岐専念寺で正月を迎えて観音寺市、松山市を行脚し、丸亀から岡山に渡り姫路、大坂へ、更に南下して境、そして百人一首で名高い高師の浜までの紀行です。  
  音に聞く 高師(たかし)の浜の あだ波は
            かけじや袖の ぬれもこそすれ  裕子内親王家紀伊
 


 一茶はこの頃「信州雲水一茶」「むさしのの一茶」「亜堂」などと名乗っていて、師匠の二六庵竹阿の門人・俳友を訪ね歩きながら、源氏物語や平家物語、古今集などの古典文学縁の地も巡っています。

 

 

 

 

 

 一茶はこの句碑の句と一緒に古郷柏原に思いを寄せて7句詠んでいます。30代前半の一茶の推敲の跡が偲ばれます。


  さぞ今よひ 古郷の川も 月見哉
  出る月の かたは古郷の 入江哉
  月と吾 中に古郷の 海と山
  古郷に 以(ママ)たる山をかぞへて 月見哉
  月今よひ 古郷に似ざる 山もなし 
  月今よひ 古郷に似たる 山はいくつ
  月今よひ 山は古郷に 似たる哉


 句碑の句は五七五の定型ではありませんが、15才で江戸に出て29才で初めて古郷に帰り、直ぐに西国行脚に出た一茶の心境や状況がひしひしと伝わってきます。「古郷の海」は野尻湖でしょう。前年(寛政6年一茶32才)には次の句を詠んでいます。
 


  初夢に 古郷を見て 涙かな  一茶(「寛政句帖」)

 

 

 

 


 私の一茶の句碑巡りは越統太郎氏と清水哲氏の共著「一茶の句碑」などを手がかりに訪ね廻っています。今回は図らずも越氏の家の前に立つ句碑を訪ね、越統太郎氏の奥様と娘さんにお会いしお話を伺うことができました。統太郎氏は10年程前に他界されていました。製糸業で財を成した越家は広大な敷地に白壁の立派な蔵が沢山並ぶ素封家で、応接間には徳富蘇峯揮毫の大額が掲げられていました。


 
 越統太郞氏には「一茶のふるさと~写真古郷風土記」「わらべ唄の旅~良寛・一茶」「一茶の句碑」「一茶の信濃路」等の著書、共著があります。辞去の際に「一茶の信濃路」をいただきました。明治・大正期、戦後間もない一茶の里柏原宿の写真と句が沢山紹介されていて一茶に一歩近づけた気持ちになれます。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 


荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)