親は死ね 子は死ね後で 孫は死ね   一茶
 

 

 

 いささか不穏な句です。上に紹介した相馬御風の「煩悩人一茶」の一節にある句です。
 


 この本は昭和11年発行で、その日焼けした函(ケース)から本を取り出し、カバーをはずすと御覧のような洒落た絹張りの木版画で装丁した表紙が現れました。装幀者郷倉千靱は御風が晩年を過ごした故郷糸魚川市に近い富山県出身の著名な日本画家です。この様な立派な装丁の本と出会ったのは初めてで感動すら覚えました。
 


  この句は、初孫が生まれた人が一茶にお祝いの句を、と願い出た際に詠まれたものだそうで、知人はこの不吉な句に唖然とし、一茶を憎みののしった、とあります。さもありなんと思える句です。
 


  しかし、一茶の子供は4人が4人とも2才の誕生日も迎えられずに他界し、自分より二回りも若い妻きくにも先立たれ、60才を過ぎて一人残された孤独と絶望の中にいる一茶の心境に思いを致す時、全ての人が必ず迎える死が親、子、孫・・・と「順当」に訪れることが「幸せ」なんだ、だから、このお孫さんも長生きしてくれよ、と心の叫びとも言える句に詠んだものと理解できます。


 
  一茶は3才(数え年)で生母を失い、以後の逆境の人生を阿弥陀佛にすがって「あなた任せ」とその心境をしばしば句に詠んでいますが、御風はこの本で一茶がごく普通の煩悩人であったことを親しみを込めて書いています。
 


  院長の祖母は昨年9月に103才で他界しました。明治・大正・昭和・平成の長い時代を生きた祖母は戦中に母を空襲で、末弟を戦地で失いました。戦中に二人の幼児を栄養失調等で亡くし、80才の夫を送り、平成になって58才の息子を見送っています。
 


  寛永10年(1637)に始まる我が家の過去帳には82名の戒名が記されていますが、4割以上にあたる38人には孩子、童子、童女と記されていて、昔は「逆縁」が非常に多く、辛い思いをした人が大勢いたことがわかります。
 


 我が身には母や一茶のようなことが起こらないように祈るばかりです。
 


   ところで、この句は「一茶全集」(信濃毎日新聞社刊)にはありません。この句は一休禅師の作、あるいは一茶の里柏原宿本陣の血を引き「一茶選集」を著した中村六郎の作とも言われていますが、一茶の身の上を知る者にとって、一茶の句という説が真実味をもって伝わってきます。

 


 
荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)