こんばんは
今日もありがとうございます
 

今週も、すこし本格的な坐禅会に参加しました。

 

碧眼録提唱は、先月からの続きで

第98則、ちょっと痛い天平和尚のお話と

次の99則の粛宗帝のお話の導入部分でした。

 

比べて批評してしまってはよくないとはいえ🤣

この2話は道を求める姿勢の二つの在り方が対比されていて

とても面白いです。

 

 

98則、デキると自らを過大にみている人

99則、皇帝として国を治める能力もあり

実際にとても素晴らしい人物なのに

自分はまだまだ至らぬと切磋琢磨を怠らぬ人。

 

あううう、98則は

私には痛い痛い思いが効きます。

 

自分は悟った、もう完成だ

と軽佻浮薄の天平さんに

どうだ一緒にここで修行してみないか?

と西院和尚がお誘いするのですが

自分が一番と思っている天平さんは

人生を変えるかもしれないこのお誘いをふいにして

語録によく描かれる実力の禅僧のごとく西院和尚のもとを去ります。

 

そのときのことを引き合いに

昔話をしている天平さんですが・・

 

仏教では、他人を下げた物言いをしたり

相対的に自分をよく見せようとするようなことは

いけませんよ

という教えがあったと思いますが

悟る悟らんの前に、天平さんアウト・・・。

ううううむ

天平さんがどこまでも自分のようでいたたまれぬ。

そしてこういう自己肯定感ならない方が良い・・・

 

と思ってそわそわしていたら

老師は、98則の最後に

西院和尚はこういうひとが好きなのかな?

っておっしゃっていて、

そうか個性といえばまあ個性か、、、

と救われつつも

安心せずに反省精進あるのみだわと思いました。

 

 

西院さんと天平さんは見えている世界が違っていたので

噛み合った問答にはなりませんでしたが

第99則では、書き出しが竜と虎で例えられる二人のお話で

読む人が読めばそれは美事なのだそうです。

それはそれで私にはついていけないという🤣

 

天平さんくらいの実物見本で

我が身を振り返れると

ぼーっと生きている私でも

日々の生活に反省の点を見出すことができます。

考えるたびに心が痛いですが🤣

碧巌録第98則は何度も味わいたいものです。

 

そう、泥があるから美しくなれる・・・汗

 

碧巌録は色々難しいところだらけなので

週末は玄侑宗久さんの

荘子と禅的思考の本を読んでいました。

 

設定は、なんと荘子が現実世界で筆者とお友達

 

周さんと呼ばれ、動物の整体院を開業している

福の文字が書かれたTシャツを着た荘子と

定職もなくこれからどうしようかという著者が

まるでほんとうに大阪のどこかで過ごしているんじゃないか

いやいてほしいなあ、、、と思ってしまう

とてもピースフルでほっこりな

お話です。

 

 

荘子に描かれている「混沌王」の王子という人物も

この話には登場していて

混沌王子がまたとても良いのです。

混沌だけにぼよぼよとしているだけなのですが

存在だけで安心してしまう

さすが混沌王の王子・・・。

 

 

週末は混沌王子に癒され、

こんなふうに古典を我が生活に引き揃えて読めたら

何百倍も面白いだろうなあと

憧れの思いでした。

 

わたしの日常にも、天平さん

登場してくれないかしら。

 

 

今日の坐禅の発見

小学生の頃に参加した座禅会で

わたしは何を勘違いしたのか

呼吸ではなく畳の目を

必死になって数えていたことを

急に思い出しました。

 

 

ありがとうございます。

明日も良い一日になりますように。