こんばんは。

今日もありがとうございます。

 

ガチな坐禅会に2日連続でまぜていただきました。

わあー、みんな経本見ないでお経唱えてる!

気軽に来すぎたという

後悔の感を覚えつつ🤣

なんとかついていきました。

 

 

 

 

松島瑞巌寺の老大師による

碧巌録提唱も最初はまったく何が始まったのか

どこを読んでいるのかも????状態でしたが

なんとか追いつきました。

 

冷静に考えても

なぜ初心者なのにこんな場に来てしまったのかと

思いつつ

これは予習がないとついていけん!と

帰ってすぐにポチりました。

懲りずにまだ参加する気です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

禅語録って、中国古典なのかな?

日本語の古典すらままならないのだから

まあ理解できなくてもと

自分をはげまし😆

 

読み下しではまったく平面で

難解極まりなかったただの文字列が

老大師の解説で徐々に、

私の頭で立体的に鮮やかに

現像されていきます。

 

貝は月光を呑んで真珠を宿し

天は花の雨を降らす、って

情景の描写が美しい第90則。

昔の人の感性って素敵。

 

大喜利みたいでなんだか楽しそうな僧たちのやりとりがある

第91則。

 

禅語録って

急にひっぱたかれたり大声出したり

つかみあいにけなしてみたり

時には猫を殺してしまう(殺生はいかんのでは・・・汗)

なんだか気の抜けない印象がありますが

 

もし当時その場にいたら

お互いが信頼し合っていて

充実して楽しいのだろうなあ

という思いをあらたにしました。

 

 

 

二日間の学びメモ。

 

・極端な二元的考えを離れましょう。

しかしこの分ける考え方は現代の社会の根幹でもあるので一概にやめようというわけではない。

この塩梅が難しいですねえ。

 

・一見無駄骨のような徒労にも価値がある。

考えるだけ無駄とか、無駄骨を折って損したとか

そんな事はなくて

その道を通った事が大事だったんだ、みたいな感じかなあ。

 

 

 

 

あわあわしすぎて後悔しきりでしたが😆

集中して座れる時間があるということは

とてもありがたく贅沢なことだと思いました。

 

 

 

さて、この仏欲はどこへ辿り着くのか。

碧巌録の予習そっちのけで読んだ

インドの僧侶佐々井さんの本も

笑い笑い涙涙ですごかったのです・・。

 

 

気がつけば夜を徹して読み明かしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

肝心のお袖は、お糸の微妙な色合わせのため

袖山で足踏み中です。

これもまた無駄骨ではなく、

ナチュラルヤーンのグラデは

そのまま使ったら面白いなあという発見でした。

 

肩からパッキリ色が分かれては

気になってしまうので

別のところに使います😊

 

このを糸編み終わりたくなくて🤭

でも、きっとまた羊さんたちに

新しい温かな毛を分けてもらおうと

思っています。

 

ありがとうございます。

気がつけばすでに火曜日

今週も暑さに気をつけてゆるーくまいりましょう。