サザン・ソウルの名門レーベル、メンフィスのGoldwax 、このレーベルの日本発売を巡って一大騒動(ん?)になったというお話ご存じですか?

 事の発端は、76年の夏ごろからこの幻のレーベルの日本発売を目指し、旧ベル・レコードの権利保有社アリスタ・レーベルと契約があった東芝EMI(当時)に働きかけていたソウルの専門誌「Soul On」の故桜井ユタカ氏が、何とかアルバムの発売にこぎ着けたいと動いていた。そこへ当時吉祥寺に店を構えていたレコード店の目瑠璃堂が、Goldwax本体に直談判し日本発売権を獲得。発売に向けて「Soul On」に協力を申し出たことで、東芝EMIと動いていたSoul On側(というか桜井氏)は鼻を曲げた形になり当然お断り、既存のレコード会社を差し置いていちレコード店が直接契約し発売する(Soul Onに言わせると”ブートレッグ”紛いの暴挙)ことは如何なものかと反発した、というお話なんですが・・・。

 そもそもアメリカの会社のベルが配給していた音源を出す交渉で、イギリスに音源が残っていた事実に一縷の望みを掛けてる方(桜井氏)が危ういと思うのですが・・・。正当な権利があればアメリカ側から返答があるハズなのでは・・・?実際ベルとの配給権は当の昔に切れていたのですから、桜井氏は多少大人げなかったのでは・・・。NMM誌77年7月号でのSpencer Wiggins音源世界初のフルLP化のレビューで日暮泰文氏は「子供の喧嘩」と一刀両断でした。

 

 Goldwaxの日本発売元Vivid Soundの誕生は、その前年にブルース雑誌(『ザ・ブルース』、現在は『ブルース&ソウル・レコーズ』に引き継がれている)を発売していたブルース・インターアクションズが南部のブルース・マン、カルヴィン・リーヴィーの作品をまとめ、新たに作ったP-VineレコードからLPを発売し、”現代のブルース”を発売したことで既存大手に出来ないリリースを目指す新たな動きも遠因にあると思います。

 

 Goldwaxは、NYのベル・レコードに配給を任せており、その関係でSoul On側は既存レコード会社側からのアプローチをし、目瑠璃堂側はその本体に直接アクセスした形だった。配給元のベル・レコード、日本ではなじみが無く、ホットロッドのロニーとデイトナス「GTOでふっとばせ」(SR-1149)のヒットや、”街角”シリーズで人気があったデル・シャノンの久しぶりのヒット「太陽を探せ」(SR-1185)が東芝音楽工業のステーツサイド・レーベルから発売されていた。その後、ジェームス&ボビー・ピューリファイの「恋のあやつり人形」(SR-1634)、ボックス・トップスの「あの娘のレター」(SR-1802)と全米ヒット・チャート入り曲を出したが、これはヒット曲だからのリリースで、ベル・レーベルを開拓する考えもなかったのだろう。マイナー・レーベルの発売用ステーツサイド・レーベルの中の会社だしね。

 その後、本国でColumbia Pictures の傘下に入った後、日本では新興のCBSソニーがレーベルと契約。

 CBS・ソニー LITE91002

 このLPはベルの日本発売にむけて第1回発売のシングル8枚の収録曲をまとめた宣伝用の盤だったので一般流通はしなかったと思われるが、Goldwaxレーベルは、68年の10月頃に日本で(ひっそりとだが)紹介されていた。

 ジャケットは本国で出た『Dial A Hit』(BELL 6030)のジャケットを模した形で選曲は日本サイドだったが、ダイヤルを回すと曲目と歌手名が現われるギミック・ジャケットは(予算の関係か?)採用されていない。

 

 米BELL 6030 ダイヤルが回るギミック・ジャケ! 

 

 実は、そのソニーからのDJ向け(?)LPに、Goldwaxのジェームズ・カーの「ダークエンド・オブ・ザ・ストリート」が密に紛れ込んでいたという事実!

 ジャケットには『R&Bファンにとっては、これほど発売を待たれたアーティストはいないでしょう。』と書かれているが・・・・・、この時点では有名な雑誌Soul Onも発行されておらず、空振り三振!だったでしょうね。日本でいわゆるディープ・ソウルが広く認知されるのはNMM誌が76年7月号に特集してからであろう。発売熱望していた人って・・・・何人いたのでしょうか?

 今ではロック・ファンにも知れ渡っている音楽も当時は「誰が聞くの?」って扱いでした・・・・・。