毎年楽しみに聞いているラジオ番組、山下達郎のサンデー・ソング・ブックの『新春放談』。

もう公共電波をこんな趣味趣味なカルト・ネタで満たしてイイのか?!と思う内容で目から鱗がこぼれまくりデス。

9日放送分は特にカルト度が増し増しで、1曲も知らなかった・・・。

その中で、日本盤が出ていたと思われるジョー・ジュニアには二度ビックリ!

カバー曲コレクターの宮治大先生の記憶力(A面カスケイーズ、B面サークル!)も凄すぎだが、こんな盤に遭遇していたとは・・・。とても常人には嗅ぎ分けられない嗅覚の鋭さにはもう言葉もありません。

放送中に69年の物との発言があったので、日本グラモフォンのシングル・リリースの資料を当たってみたが、見当たらない!謎だ・・・・。

 

本日、達郎氏のHPでジャケット写真を見て、番号(DP-1753)から月報を当たったら、何と!70年の12月月報でした。69年の物が何で1年以上経ってからの発売?

さらに謎が・・・・。

 

また、放送では、香港では未発売と言ってたような?ううむ、謎すぎる。

調べたら、元々は香港のDiamondというレーベルからの発売らしい。

それが1970年にポリドールに買収され香港ポリグラムが設立、その絡みで日本でもポリドールで発売が可能になった!と推測される。なので、発売時期のズレも納得です。

 

アグネス・チャンの日本デビューは1972年、ブルース・リーの『燃えよ、ドラゴン』は1973年。日本の香港ブームより少し前だったせいか泣かず飛ばず・・・。

ちなみに、アグネス・チャンも姉のアイリーンとのデュエットで、ジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」をカバー(1971年)して人気が出たとか・・。香港でも洋楽カバーが盛んだったんですね。このジョー・ジュニアのLPでは、ダスティ・スプリングフィールドの「二人だけのデート」もカバーしてますが、1969年でも5~6年前の曲は賞味期限切れじゃなかったのかな?

 

ニュー・スター登場のもう一方、ティン・ティンはオーストラリア出身のグループ、ビー・ジーズのモーリス・ギブのプロデュースだそうで、この後もう1枚シングルを出しています。

グラモフォンはこの年一杯でアトランティック・レーベルを失うので、ディレクター氏は鵜の目鷹の目で新規開拓をしていたのでしょうね。(もうレアものだらけで写真は月報のみでスミマセン)

 

更に難問だったのが、第1回の最後にかかったMilt Okun's New Friendsのシングル盤。

この名義のレコードは放送でかかったこの曲収録のシングル盤のみらしい。通常こういった便乗カバー物はアルバムで、イージー・リスニングの体裁(なので特に有名歌手やグループでなくてもよい。)どういう経緯でシングルのみの発売だったのかも謎。

しかも、検索してもプロモ・コピーしかヒットせず、(米盤の)市販盤はあったのか?

そして、何故かフランスではレギュラー盤で発売されている。もう謎だらけ・・・・。

 

B面の「Goin' Down The Stoney End」(上掲)は、自身も関わったローラ・ニーロ曲のカバー

で何となく理解できるが、A面曲を選択した理由は皆目推測できない。大きな謎。

曲はボブ・ディランの「Lay Down Your Weary Tune」。

ボブ・ディランはあまり詳しくないのだが、この曲1964年発売のLP『The Times They Are A Changin'』(CS8905)の時のアウト・テイクで63年10月24日の録音物。1985年に出された『Biograph』(C5X33830)で日の目を見た曲だそうだ。

同じりプリーズから発売のナンシー・シナトラのNo.1ヒット「Something Stupid」は番号0561で3月にチャート・インなので、0565のこのMilt Okun's New Friends盤は1967年の同じ頃の発売と思われる。録音も66年暮れか67年初め頃か?そうすると、このボブ・ディランの曲はどういった経緯(意図)で録音に至ったのだろうかが更に大きな謎!!!のちにマクギネス・フリントによるカバーも出るが、そちらは1973年。63年録音の未発表曲を67年に取り上げ、シングルのA面に持ってきた製作者の目論見が全く見えてきません、というか推測する取っ掛かりも無い有様です。66年はバイク事故での沈黙期、暮れに何かあったのか?ディラン研究者の解明を待つ・・・・しかないのかな?

放送でもその件には全く触れていなかったのも頷けますが・・・。

本当に、カルトすぎるネタの提供者、仙人宮治氏との『新春放談』。なぞ解明回を希望します(笑)。