長らくの間、ご無沙汰してすみません。
長らく更新してなかったので、色々渋滞していますが、とりあえず…
『明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします』
と、今さら感満載で新年のご挨拶を…
最後の投稿は、去年の夏でした。あれから季節は巡り、年まで跨いでしまいました。
最後の投稿した時は、まだ傷病手当をいただきながら生活をしておりました。傷病手当をもらっている中では形式上ですが、ドクターストップがかかっている状態にあったので就活は出来ず、かと言って友達やらは仕事をしていたりしているので、1人で何も無く、お出かけでもと思っても、お出かけするとお金がかかってしまうと言う観点から、それすらも出来ず…
何とかネタになりそうな出来事を書いていましたが、それも尽きてしまい、更新出来ずに過ごしておりました。
傷病手当は一昨年2022年に入院した期間の残りをいただいていたので、まるまるだと18ヶ月ありますが、8ヶ月は入院及び自宅療養中の日々で使っていたので、残っていた約10ヶ月を今回使わせていただく形だったので、10月に期間が切れる時が来ます。正確には10月27日に傷病手当の期間が切れたのですが…
まぁそこまであるなら、就活開始は11月からでいいかな?と思っておりました。
傷病手当の後は雇用保険で生活しながら就活生活をしていく予定になるのですが、通常ならば申請して支給までに3ヶ月の待機期間があるものですが、そこは病気理由(と言う名の解雇)なので、待機期間が7日で支給されるので、『10月27日が来ました→1日も早くもらわないと3ヶ月も生活出来ません!』とはならずに済みました。
と言う訳で、11月1日になり、さて雇用保険の申請をば…とハローワークに行くと…
まぁ障害者手帳を持っているので、障害者の雇用の方の窓口に通されて、名前や生年月日などの個人情報を聞かれたり、今までの仕事を聞かれたり、希望する職種などを聞かれたり…
看護職の最後付近は、姿勢を維持出来てない姿から腰の悪さを指摘され、面接で落とされるパターンがめちゃめちゃあって、最後の職場を決めるまでに希望する近場の精神科の病院は全て落とされ、病院に執着せずに施設だったら、人材不足と言われがちで採用窓口が広いんじゃないかとかも考えて、応募しましたが、あたしには窓口が広がらなかったりして、遠い所にはなりましたが最後の病院の決まった時に
「この病院を辞めてしまったら看護師として働く最後だ。もう面接に行く場所がない。遠いから不便だったりするけど、免許を使って仕事がしたいならしがみつくしかない」
そんな思いで仕事をしていました。
なので障害者枠で就活するにあたり、職種チェンジするしかないこと、デスクワーク系の仕事を希望したいこと、デスクワークの経験がないことなどまでをお話しました。
たまに障害者枠の求人に介護関係や看護助手などの求人があったりして「ウソつき!面接で落とすじゃん」と思ったりしましたが、よく考えると、障害者にも色々ありまして…精神障害者であれば、精神的に病んでいるけど、身体は動ける人だから、募集に出るかぁ…
障害者枠でも精神か身体かとか整理してくんないとさ、つい看護職系に目が行っちゃうのよ!見せるんじゃないよ!って思ってしまいます。1人で穏便に過ごしている時間にめちゃめちゃ馴染んでしまい、思考回路がわがまま目に育ちゆく感じなんでしょうか?…
すると、国立県営の障害者の職業訓練施設を受験してみてはどうか?そこなら、色々な科があって、パソコンのスキルも身に付くし、事務関係の別の資格も取れる。ただ1次選考はすでに終わっているのけど、2次選考にはまだ間に合うから考えてみては?
と紹介してくれました。授業料は要らず、教科書代と資格を受験する際の受験料だけで通えるのと、どの科もパソコンならパソコンの資格1つだけじゃなくてそれに関する資格も取れたり…
普通だったら、狙った資格オンリーのイメージだったし、期間も数ヶ月ではなく1年あるので、頭の回転が遅い上に自宅警備で鈍ったあたしの脳ミソにはありがたいかも…と思い、就活より受験に前向きになりました。
とは言え、知ったのが11月。受験は1月。受験のレベルは高校入試程度の国語と数学…
しかも2次選考なので、1次選考で合格した残りのみ。
科にもよりけりではありますが、1つの科に対しての募集人数は、20人とか25人程度。そのうち何人が1次選考で選ばれていて、2次選考で何人が選ばれるのか…
中学の国語と数学…
中学の国語と数学と言われましても…
中学を卒業してから幾年月が流れたと?
もう忘れてしまっとるぞ!それを2ヶ月で?
スマホで『高校入試国語』とか『高校入試数学』を検索して、問題を解いてみましたが…
もう記憶は遠い彼方へ…過ぎ去りし日々…嗚呼、懐かしきあの青春の日々…
まぁ、看護学校に行こうと決意した時に受験勉強を30代後半でしました。その時も高校入試程度の国語と数学で、勉強しましたが、それももう干支を一周して通り過ぎてしまう年月が過ぎておりまして…
現役から今まででも、当時習った方程式…?…1次関数…??平方根…?…???…覚えていたのは、図形の問題が大嫌い!証明せよって言われ、授業で先生が黒板に解き方を書いて説明していましたが、聞いてて「あなたは数学の先生じゃないのか?弁護士か?ここは法廷か?なぜ証明せよなんだ?」
と思いながら、働かない頭を抱えながら眠って授業を受けていたなぁと言う苦い記憶が…
しかも当時中学生のこごんたさんは、英語の時間は「ここは日本だ。観光やら何やらで日本に来るなら、英語で聞いたりするんじゃなく、郷に入っては郷に従えで外国の方が日本語を覚えて来なさい」
と思い、国語の時間になると
「もう日本語を話して通じて生活してるんだよ。漢字とひらがなカタカナが読み書き出来たら、ええじゃないか?アカンのか?」
と、国語の根底を揺るがす思考回路をしておりまして…
まぁ要するに、勉強の2文字を持ち合わせておらず、努力知らずの方向に真っ直ぐに成長していたので、『努力して成績をアップする』『勉強して賢くなる』なんて言う世界とは無縁な中学生だったので、
大人になっても多少は残っているであろう、当時の学習から学んだ知識はスッカスカで何の残り香も残ってない状態。
看護学校の受験の時に勉強し直したのすら、看護学校に置き忘れて卒業したので、残ってないなぁ…
まず生まれつき数字と日本語とは相性が悪かったし、何ならもうちょっとでアレルギー反応が出てきそうな程の拒否反応が…
現役→看護学校入試→今回と3度目の中学生を(って言うと厨二病みたい)味わいましたが、今回は始まりが11月だったこと、参考書やら問題集を買う資金がないことで、YouTubeの授業動画を観て、授業を受けた気になりながら、ノートを取り、問題に取り組まないと、いくら問題をやっても、ちょっとでも理解してないと、解き方すらも分かってない状態で数をこなしても意味がない様な…と思って、迷ってる暇もなければ、ノートを買いに行く暇もねぇーんだ!と、看護師時代にケースで買っていたメモ帳を引っ張り出して、ノートにして、YouTubeの授業を受けました。