男女共に働ける世界を思うひとりごと
男女共に働ける世界とは、「男女が差別を受けることなく働くことが可能な世界」なのだと私は思う。先日、世に出て働くことがいかに素晴らしいかを書いた記事、専業主婦を暇な人と見なしている人たちがいることを書いた記事を目にすることがあった。「働く」のは、「賃金を得て日本経済を円滑に進めるための一助となる」働き方にばかり注視されていて、その部分ばかりを社会全体が改善しようとしているように窺えるのが、私にとっては気懸りだ。「賃金を得て日本経済を円滑に進めるための一助となる」働き方ばかり改善され、奨励されてゆくにつれ、今度はその働き方以外の働き方をしている人々への差別や偏見が深まるのではないか、また偏ることで将来を担う子供たちへの影響が出るのではないかと危惧してしまう。「働く」という言葉の意味は非常に広い。使われる場所や前後の文脈から色々と変わってしまう。ある見方では、「外に出て会社勤めをして毎月の給与を受けて働くことが真の働くという事だ」となるかも知れないし、「赤ちゃんは泣くのだって仕事だし、子供は遊びの中から色々な発見をして人としての基礎を培っていくのが仕事」かも知れないし、「専業主婦として将来を担う子を育て、寄り添い心と体を見守って、家庭を穏やかな環境に整えることも仕事」かも知れない。男女共に働ける世界が、私の思う通りであるならば、「男女の差別なく働ける開かれた世界」とでもして欲しい。余りに省略された言葉では、意味を取り違えるひともいることだろう。本来、社会が目指すべきなのは「自身が全てを選択できる世界」なのだと思う。どの職業に就くのか、どの時間帯で働くのか、どんな場所で働くのか、なにを仕事としたいのか...。ある人は家庭の経済状況の為、何をおいても毎月給与のある仕事をしたいかも知れない。またある人は経済状況よりも家庭の環境(介護など)を鑑み、とにかく家庭を重視したいかも知れない。そしてまた別の人は、家庭で子供のサポートを万全にしておきたいのかもしれない。そして他にも、(賃金の差異無く)家業や企業で仕事をすることが自分の生き甲斐であると思うひともいる事だろう。昔、求人情報誌で「職業選択の自由」と歌ったCMがあったが、まさにそうだ。どのような仕事であれ、殆どの独立した人間は働いている。働いていることが、必ずしも素晴らしいわけではないが、どの仕事を選び、それを本人が良しとしているのであれば、貶めることはしないで欲しいと切に思うのだ。人は「開かれた世界の中で、差別なく職業を選択でき、それを行うことができる」のが本当に目指す場所ではないのかと、私は感じている。