神戸への帰省、1日遅れでSea-Tacから羽田空港へ。
キャンセルになった便が翌日に振り替えられたので、飛行機はほぼ満席。
同じ便待ちで、軍服を着た若い米兵の軍団がいました。
私の席は3席の通路側。運よく?真ん中席は空席でしたが、窓席に米兵男子。
私よりもトイレに行く回数が多い男子でしたが、席を立ってあげる度に、Thank You!という良い子でした。
背後も米兵男子組。もう学生でもないから、皆、静でしたね。
今回は初めての羽田着便。(いつもは成田か関空着)
国際線ターミナルから、国内線移動はシャトルバス利用とは知っていましたが、まさか乗り間違えてシャトルバス3回も乗るとは!
先ずは、乗り換え搭乗ターミナル第2と第3を聞き間違えてしまい、慌てて飛び乗ったバスはまた国際線ターミナル戻り。
それにしても国際ターミナルと国内線ターミナルの距離が長すぎる。(10分以上は乗車していたはず)
ちなみにシアトル空港では電車なので、数分で移動。
3回もシャトルバス乗車してしまったので、神戸発は走ってギリギリ搭乗でした。(しかも、この神戸発便の搭乗口がターミナルの一番奥だったよ。)
神戸便は平日の夜便ということもあって、ダーク色のスーツ姿のオヤジ軍団で満席でした。
フライト時間が短いから窓側席予約していたのに、1日遅れたせいで、真ん中席に振り替えられてた。
無事に故郷神戸に到着。4年振りに会う父は私が確か父の還暦祝い?で送ったMarinersのジャケットを着ていました。だから、迷うことなく再会出来ました。今回の送迎、滞在も父宅でお世話になりました。
帰省翌日の初日、先ずは美容院へ。9カ月ぶりのハイライトとカット。
その後は、今回の帰省目的でもある、喪中の母のお見舞いで母宅を訪問。
4年前には何とも思わなかったのですが、母の住むアパートは3階建てのエレベーター無の3階。
うーん。老人にはエレベーター無いのはきついな。
癌闘病中だった旦那さんは車椅子を利用する時があったとの事で、その際には、同じ階の家族で住んでいる私と同世代位の男性に手伝ってもらったらしい。
先ずは、この男性家族にお礼をしなければと思い、伺いましたが、残念ながら在宅しておらず直接お礼出来ませんでした。(なので、アメリカに帰る前に、母にお菓子と私の連絡先を記入した手紙を同封した袋を託しました。)
4年振りに会う母は、以外と元気。掃除のアルバイトも、旦那さんの看病をする時に辞めていましたが、また復職して平日5日間の朝の3時間だけ働いているとの事。アパートから駅まで自転車乗っているとの事。75歳にしては元気すぎる?
神戸の震災後に再婚したから29年の伴侶を亡くした悲しみの癒しは、愛鳥4羽でした。
仕事から帰り鳥かごから出してやると、数時間、部屋内で飛び回っているらしい。
私が訪問した時も、バタバタ飛んで、糞を落とされたわ。
4羽のお世話で悲しんでいられないよね。愛鳥が母の元気の源であると確信。
翌日は、命日の19日も兼ねて、納骨されている須磨寺へ姉も誘い、母娘3人でお参りに行ってきました。
「源平ゆかりの古刹」 梅が少しだけ開花していました。
高齢の母、私と姉のひたすら歩きまくる買い物に同行は出来ないので、須磨駅前でランチを食べて、解散。
姉妹で通称ハーバーランドがある神戸へ。神戸駅、直ぐ近くに湊川神社があるので、私はこれが初詣。
参拝の際は必ずお御籤を引くのですが、今回は滅多に引かない大吉でした。
仕事は自ら創るべきで 与えられるべきではない
とのお言葉が。今の私にはとても意味深いです。肝に銘じておきます。
久しぶりに姉妹でのお買い物は、お互いスポーツ店で運動靴と水着を購入。円安ドル高だから、私にはお買い物天国!?
主婦の姉は先に帰路へ、私は和雑貨屋で爆買いしてから帰宅しました。
帰省中は母との時間を優先して、ランチを数回、家は2回訪問して、近所のレストランで毛ガニを食べ、銭湯にも行きました。前回の帰省の時は有馬温泉行ったけど、今回は断念。
蟹は母の大好物。家族での外食は蟹スキ鍋が主流だったね。
私は毛ガニは初めて食べたかも。(トゲトゲして痛かったけど美味しかったわ。でも、私はダンジネスが一番好き)
銭湯は一緒に行ったけど、母はカラスの行水で先に帰宅、残された私は少し雪がちらつく中、露天風呂を満喫。
海外在住人の日本帰省、やっぱり温泉だよね!!
人生100年時代?今年76歳になる母。ランチ時からビールを飲んでました。(この私でもお茶よ)
自宅でも、毎晩、ビールは飲んでいるらしい。
辞めて欲しい喫煙も辞める気配なし。私や姉からの助言も聞かない、とっても頑固な母。
来年の夏にはシアトルでの再会を約束して、アメリカ帰る前日にお別れしました。
それまで、お互い健康でありましょう!!