将来はクイーンになりたいです!

そう進路希望の紙に書いた千早は、もっとまともに書いて来なさいと先生に叱られてしまう。

その千早は最後になんて書いて紙を提出したのか

 

いやー、監督の苦労が伝わって来る作品ですね…

そりゃそうでしょう。前後編で綺麗にまとめた物の続編を作れって言われるんだから(笑)

千早と太一も既に成長しきっているが新たな葛藤を設定しなおさなければならない。

でもこの新たな葛藤こそが、この青春映画の金字塔を締めくくるに相応しいテーマに結びついている。

ではその葛藤は何なのか。

実は今回、千早と太一はお互いにあまり関わらずに話が進んでいるが

それぞれが見ていく先にあるものは実は同じなのだ。

 

まずは太一の視点から見てみよう。

彼は今作では千早との恋愛で行き詰ってしまう。

それは誰もが見て分かるだろう。

でももっと大きい視点で見てみると、

太一は青春と将来の狭間で苦しんでいるのだ。

分かりやすく言えば『今』を取るか『未来』を取るかの取捨選択。

 

これは誰もが学生時代に経験した事だと思う。

青春時代の思い出を作るべきなのか、それを捨ててでも将来のために勉強等の努力をするべきなのか。

これは百人に聞けば百人の意見が分かれるくらい永遠のテーマだと思う。

もちろん両立できるのが好ましいが、どうしても両立できない部分があるのも確か。

受験や就活のために今まで当然の事のようにしてきた部活や遊び、趣味を控えなきゃいけない時が来る。

では将来のために過度に青春を捨ててしまった大人はどうなるのか。

 

そんな大人の象徴として今回登場するのが名人である周防だ。

そんな周防名人は後半に一つの歌を黒板につらつらと書き始める。

 

花の色は 移りけりな いたづらに

我身世にふる ながめせしまに♪

 

これは当時絶世の美女と謳われた小野小町の歌だ。

だが内容は「俗世間に振り回されている間に私の美貌は衰えてしまった」

という悲哀に溢れたものである。

 

周防名人は誰もが認める勝ち組である。

予備校にも通わずすんなり東大に合格し、名人を5連覇して永世名人になりカルタ界のトップに君臨し続けている男。

しかし彼は今の地位を築くために青春を捨ててしまった。

そして今目の光を失おうとしてる時に気付いたのだ。

 

ああ、『花の色は~』だなぁ…と。

 

手に入れた栄光もこのままただ失われていくものならなんて虚しいんだ。

 

太一もカルタを捨て、青春を捨てて勉強する道を取ろうとしている。

それではいつの日か小野小町や周防名人になってしまう。

「好きでもないカルタをやって何になるのか」「部活なんかよりも勉強を大事にしろ」

色んな『音』が聞こえてきて惑わされる太一だが、

そんな太一の耳には周防名人からの声も届く。

「本当に最強な人は周りの人を強くする」

それを聴いた彼は一目散に部活の仲間の元へと駆けていく。

ようやく自分が引いた線を越えて、本当に聴くべき音を聴く事ができたのだ。

この時カルタをしている広間に入る太一の足をカメラは映す。

色が変わっている床を太一の足が越えていく瞬間、

太一がようやく線を越えられた!

と誰もが分かる。素晴らしいカットの一つだ。

独りよがりではなく、仲間と一緒に戦う太一。

それが一番強い太一なのだ。

 

そして

今と未来どっちを大事にするべきか

その答えこそがこの言葉の中に隠れている。

今と未来を大事にする。それは結局自分の事だけしか考えていない視点だ。

それよりも大事なのは他の人のために何ができるか。

 

「やっぱり周防さんは最強です」

手に入れた栄光も虚しく目の光と共に失おうとしている周防名人。

光りが消える寸前、太一に大事な事を教える事ができた。

太一を強くする事ができた。

青春を捨てて独りよがりでカルタだけ強かった周防名人は

他の人に希望を遺したこの瞬間に、本当の意味で最強になったのだ。

 

そして太一に伝えた事はこれからも太一を通して他の人に伝わっていくだろう。

百人一首というたった31文字の歌が1000年後に届いたように。

 

 

「千早と太一。それぞれが見ていく先にあるものは実は同じ」

冒頭でそう書いたが。

実は、千早が今回学ぶ事は正にこの太一が周防名人から教えてもらった事と同じなのだ。

 

大会中千早はある事を注目して見ている。それに皆さんは気づいただろうか?

 

負けた生徒達を叱咤激励している先生。

今までありがとうと生徒達に感謝を伝えている先生。

大会の運営を手伝っている先輩。

 

千早は色んな大人達を見ているのだ。

 

将来何になりたいか。それを悩み考え始めた千早は周りにいる大人達を観察し始める。

そして気づく。生徒や他の人達に何かを遺している大人達がいる事を。

 

「今までの3年間はもらってばかりだったから、今度は私があげる番。2人にあげる番」

 

これは新入部員である筑波と菫に送った言葉だ。

この瞬間、もらう側だった子どもの千早があげる側の大人への階段を上り始める。

 

もちろんこれはただ台詞だけで良い事を言ったのではない。

しっかりと行動として実を伴っている。

 

団体戦で声なんか出してなんになるんだ?

そう言っていた筑波。

決勝戦で机君が一敗した時、この流れを変えるのは筑波の一言だ。

「追いつきました!……逆転します!!!」

 

一敗して申し訳なさそうにしていた机君が筑波の一言を聞いて本当に嬉しそうな表情を浮かべる。

上の句や下の句では千早、太一、机君等が団体戦という物を学んだ。

その学んだ事がキチンと後輩に受け継がれていっているのだ。

 

 

ちなみに菫は俺がちはやふるの原作で一番好きなキャラ。

部長の太一に恋をして好きな人のために好きでもないカルタを続けていく。(改めて見るとスラムダンクの桜木だな)

そんなけなげな姿が魅力な女の子。

実は映画版での太一はこの菫のキャラにかなり近い。

というのも原作の太一はいまいち読者が感情移入しづらいキャラになっているからだ。

イケメンで勉強の成績もいつも学年一番。悩みと言ってもカルタの大会で1位ではなく2位になってしまったと落ち込む程度。

普通の人から見たら雲の上の存在だ。

「落ち込んでるのは分かるけど感情移入できねー」原作の肉まん君は太一を見てそう呟く。完全に同意だ。

でも映画版の太一は好きな人に振り向いてもらえず、カルタも強くなれない。

そんな菫に似た設定にした事で観客に感情移入してもらえるキャラにしたのだ。

 

太一の事を想っている菫にかなちゃんが「部長を想う気持ちがこんなに顔に出てる」と言うと、

「しのぶれど…?」

とすぐ答える。菫がカルタに真摯に向き合ってる事が伝わって来るシーンだ。

このすぐ後、綺麗に飾られていた菫の爪が短くなっている。

 

もし更にちはやふるの続編が出るなら菫の物語の続きをぜひ見てみたい。

菫役の優希美青メチャクチャ可愛いし(聞いてねえか)

ま、一番可愛いのはクイーンを演じる松岡茉優だけど(もっと聞いてねえか…)

 

 

後進には希望を相手には敬意を仲間には勇気を。

この言葉の通り、千早達は後輩達に希望と勇気を遺す事ができたのだ。

 

そして最後に千早が進路希望用紙に書く言葉。

 

『教師』

 

エンドクレジット中に1カットだけ千早の姿が映されるが、

これは単純に見ると千早が後にクイーンになった事を表しているように受け取られがちだが違う。

他の人達に何かを遺すため千早が教師という道を選んだという、正に千早の進路の結びを描いている。

クイーンになってイエーイ!

で終わるのではなく。その後に周防名人や太一の様に千早も周りの人達を強くする事ができる大人になったのだ。

 

 

悲しい事に昨今の日本のスポーツ界ではパワハラが目立つ。

相撲、ボクシング、レスリング、アメフトに体操。(アメフトに至っては俺の母校だしよ…)

 

何かを成し遂げたからとふんぞり返って若い人達を気付けるような人達を俺は絶対に認めない。

ちはやふるを1000回観て来いと言いたい。

 

でもこのパワハラ問題は氷山の一角だと思う。

誰しも少なからずパワハラに苦しんでいるのではないだろうか。先輩、上司、先生、親。

こんな日本だからこそ、ちはやふるの映画がみんなの心に届き、ヒットしたのかもしれない。

 

『自分が何を成し遂げたか』

だけではなく、

『他の人に何を遺したか』

 

そういう基準で評価される世の中になっていって欲しい。

 

 

花の色は~

と詠った小野小町。

美貌が衰えていってつらかったかもしれない。

でもこの歌を1000年後の俺達に遺してくれたじゃないか。

そんな彼女も強かったんだなと改めて思う。

 

 

 

最後に劇中に出てきたもう2つの歌の解釈をして終わろうと思う。

 

ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば

ただ有明の 月ぞ残れる♪

 

簡単に説明すると、

ほととぎすが鳴いた方を見たら既にほととぎすはおらず、ただ明け方の月が浮かんでいた。

という意味である。

 

部室の畳の中から一枚のカルタを発見する千早。

それがこの歌である。

当たり前のように傍にいてくれた太一。でももう今は千早の元から去って行ってしまった。

そう感じた千早が太一の声が聞こえるので見てみると、その太一は幻と消えていく。

まるでこの歌のほととぎすの様に。

 

そしてここにはもう一つ意味が含まれている。

ほととぎすとは夏の到来を意味する鳥である。

そしてこの『夏』とはこのちはやふる結びの映画の中では『青春』と同じ意味を持たせていると思う。

太一と部活を作った青春の始まりを思い出し、その青春がもうすぐ消えていく事を感じて郷愁に浸る。

それに呼応するのが次の歌である。

 

風そよぐ ならの小川の 夕暮れは

みそぎぞ夏の しるしなりける♪

 

千早とかなちゃんが学校の屋上から眺めていると、

放課後の教室では勉強に励んでいる部員や他の生徒達の姿が見える。

そこでかなちゃんがこの歌を詠む。

 

この歌の意味は。

世の中はすっかり秋の気配が漂っている。しかし、まだ夏の気配も少しだけ残っている。

というものである。

 

先程、『夏は青春』を表していると言ったがここでは秋を『青春の終わり』に来るもの。将来や大人としての象徴として表している。

受験勉強している生徒達の姿を見て、青春の終わり(秋)を感じ取っているのだ。

あー学生生活が終わっていく。ずっと子供でいられると思ってたけど、私も大人になってしまうんだなあ。

と、誰しもが大人になる過程のどこかで味わった事があるはずだ。

 

これらの歌は劇中で何を表現していたか。

それは千早達が子供時代の青春を通過し、大人になっていく物語であるという事を暗示していたのだ。

これらの歌があったからこそ、千早達が青春を卒業する事に観客も侘しさを覚え、どんな大人になるか興味を惹かれる。

 

青春映画の金字塔である『ちはやふる』

その完結編は青春からの卒業を描いた作品だったのだ。

 

 

結構青春映画の駄作達を見てみると、

いや、今だけを見るとハッピーエンドに見えるけど

この後主人公達は進路とかどうするの?

絶望しかないよね?

 

みたいな作品が多すぎる。

 

その中で青春と『その先』を描いた今作。

本当にちはやふるは素晴らしいシリーズだし

こと『下の句』に至っては邦画史上の最高傑作と言っても過言でないと俺は思う。

(実は上の句で既に千早は「カルタの楽しさや情熱を伝えていきたい」と語っているし、

下の句では北央に代々伝わるノートを通して須藤が千早に継承する事の大事さを教えている。

そして結びはそれらのテーマをもう一度括り直して結んだ形になっている)

 

31文字の集合体である百人一首が1000年後の俺らにも届いたように、

映画もまた1000年後に届く力のある2時間に収められた言葉だと思う。

このちはやふるも1000年後の人達にきっと届くだろう。

 

 

ちはやふる3作品の監督を務めた小泉徳宏。

メイキング映像やインタビューを見ていてもそうだけど、

何よりも作品から彼の人柄が伝わって来る。

そんな彼だからこそこんなにも世の中に愛される作品を作れたと信じている。

俺が日本で一番好きな監督です。

 

また本編の最後に下の句のラストのシーンを日本画のようなタッチで描いて入れたのは流石小泉監督。

下の句のレビューでも書いたが、ちはやふるの締めくくりはやはり名人戦クイーン戦でなければならない。

それを監督はしっかり分かっている。

 

小泉監督。ちはやふるの3部作完結お疲れさまでした。

そしてこんなにも良い映画を世に送り出してくれて本当にありがとうございました。