『小さな勇者』
やっぱりスピルバーグのジュラシックパークには敵わない。
今頃そういう声が日本中のあちこちで聞こえてきてる事だ
ろう。
でも俺は断言する。
今回のジュラシックワールドがシリーズ最高傑作だと。
では今作のどこが素晴らしいのか。
それはテクノロジーに対する最先端の向き合い方が描かれて
ている点だと思う。
詳しく解説するには簡単にこの20年程の映画史をざっくり
と説明する必要がある。
それはこの短期間の間に世界の倫理観が変わったからだ。
例えばスピルバーグの作ったジュラシックパークでは
『進化するテクノロジーを人間は制御できない』
という事が描かれている。
ターミネーターやマイノリティリポートでも同様のテーマが
浮彫になっている。
でもこのテーマはもう既に古い。
何故なら私達人類はもう進化していくテクノロジーを捨て去
る事ができないからである。
「明日から江戸時代に全てを戻そう」
そう総理大臣が提案しても誰も賛成しないだろう。
それがどれだけ私達人間が生きる環境が今より改善されると
してもだ。
それではこの暴走するテクノロジーとどう向き合うべきなのか。
作品内に出て来る人間達はテクノロジーにより復元された
恐竜達をこう見ている。
『展示物』『兵器』『商品』『実験体』『怪物』
その中で唯一違う見方をしている人間がいる。
クリスプラットが演じるオーウェンだ。
最初にオーウェンはラプトルの檻の中に入ってしまった人間
を助ける。だが実はあれは人間を助けたシーンでは無いのだ。
そもそもこのジュラシックワールドは実は今の映画界を揶
揄するメタ構造になっている。
普通に実在した恐竜を観るだけでは観客は飽きる。
だからハイブリッド種である新しい恐竜を生み出して見せ物
にする。
これは凄い映像をCGでいくら盛り込んだ映画を作っても、も
はや映像だけでは驚かない世の中の観客と一緒だ。
ならそんな観客を納得させるには何が必要なのか。
それは今作で描かれている通り『小さいもの』の素晴らしさ
だ。
ジュラシックパークシリーズは毎回目ぼしい恐竜をうたい文
句に宣伝する。
例えば3ではスピノサウルスを出す事を売りにしていたし、
今作もモササウルスを売りにしていた。
その上今作はオリジナルのインドミナスレックスを盛り込ん
だんだ。
ならこの2大恐竜の恐さをひたすらに描けば良かったはず。
いやそうするべきだったろう。凡百の脚本家ならそう描いた
はずだ。
でも監督のコリントレボロウは違った。
ラプトルを主人公に置いたのだ。
ラスト。今作の一番の悪役であるホスキンスがラプトルに
殺される。
しかしその直後オーウェンもラプトルに殺されるかの瀬戸際
に立たされるがラプトルは思いとどまる。
この生死を分かつ分水嶺はどこにあったのか。
実はラプトルは一度オーウェンに命を救われていたのだ。
それが何を隠そう冒頭のシーン。人間がラプトルの檻の中に
入ってしまったシーンだ。
あそこでラプトルを射殺すればすぐにでも檻の中に落ちた人
間を救えたはず。
でもオーウェンはそれを制止する。
それは他でもなくラプトルを救うためだったのだ。
そのために、自分の命を賭けた。
なぜそこまでしたか。
もちろん。彼にとって恐竜は『友達』だったからだ。
恐竜は決して馬鹿なんかじゃない。頭が良い。
ラプトルはオーウェンとインドミナスレックスを交互に見て、
オーウェンの側につく事を決意する。
ここにラプトルの葛藤がある。ドラマがる。
人間ではなく恐竜のドラマである。
クライマックスではその後ラプトルとTレックスが共闘して
インドミナスレックスを追い詰め、モササウルスが終止符を
打つ。
既存の『小さなもの』たちが力を合わせて新しい『大きいも
の』を倒す終わり方には俺自身感動した。
マメ知識だが監督のコリントレボロウは実は映画監督として
作品を作るのが今作が2作目なのだ。
1作目の製作費が7000万円。そんな彼がいきなりビッグ
ネームであるジュラシックシリーズの最新作の監督に抜擢さ
れて製作費が200億円。
浮足立っても仕方無かったはず。
それこそCGに頼りきってインドミナスが暴れるだけの恐怖
映画にしてしまってもおかしくなかった。
でも彼は地に足をつけてラプトルや飼育員といった『小さなもの』を主人公
に置いた。
そして最後に活躍したのはヒーローパワーでも何でもなく、
小さいものが持つ小さな優しさだった。
その優しさが人間と恐竜という種族を超えた間に友情をもた
らし、その甲斐あって事態は解決された。
ここに監督の気概を感じた。
「俺は予算が増えようともCGがガンガン使えようと、映画
は小さなものを描く事で勝負していくんだ」
という気概。
今これを言うと嘘だと思われるかもしれないが、
俺はジュラシックワールドを見終わった時にまず思ったのが、
この監督にスターウォーズの続編を作って欲しいって事だった。
主人公のオーウェンは終始カッコよく描かれているが最後は
何もしない。ただラプトルの胸三寸で助けてもらうだけだ。
これはスターウォーズ6のラストを彷彿とさせた。
ルークが自らライトサーベルを捨て、ダークシディアスに
攻撃されて苦しみながらただただお父さん助けてと命乞いを
するシーンを。
最後に物事を決するのは物理的な強さなんかじゃない。
その事をこの監督は分かっている。
コリントレボロウは分かっている。
彼ならスターウォーズの続編を任せられるぞ!と。
(その後彼が本当にスターウォーズエピソード9の監督に抜
擢された時は死ぬ程喜んだ。マジかよ!
ほどなくして旧作の脚本家ローレンスカスダンと揉めて自ら
降板したニュースを聞いた時は死ぬ程ショックだった)
進化していくテクノロジーとどう向き合うか。
その答えはテクノロジーを進化させない事ではない。
誠実に向き合っていくという事だ。
もちろん使い方を間違えればホスキンスのようにテクノロジ
ーに殺されて終わるだろう。
でもオーウェンのように誠実に向き合えばきっとどんなテク
ノロジーも人間と親和になれるのではないだろうか。
『友達』になれるのではないだろうか。
困ってる時に助けてくれる友達に。
最近では『アベンジャーズ:エイジオブウルトロン』『ベイマックス』
でも誠実に向き合えばテクノロジーはしっかりと応えてくれるという
テーマが描かれている。
これらの事は今作でもしっかり描ききられている。
しかもシリーズの最新作であり、1作目から続くテーマをし
っかりと描いている。
滅多に映画に90点以上は出さない俺が90点出す価値があ
ると判断した。
もちろん批判する人がいるのも理解できない訳じゃない。
それは主に人間側に葛藤と成長が無い点だろう。
オーウェンは最初から最後まで成熟したヒーローであるし、
クレアおばさんも足りない所だらけだが、最後にTレックス
を誘導するだけでは成長したとは見て取れない。
兄弟達も本当は弟をイジメる兄が危機的状況の中で身を挺し
て弟を守るように成長する、みたいな設定だったのかもしれ
ないが、あまり守ってもないしそもそも最初から仲が良い。
と難があるのは事実だろう。
でも繰り返すがラプトルには葛藤と成長がある。
それでいいんじゃないかと俺は思う。
正に監督もラプトルを人間と同様の扱いを脚本上したのか
もしれない。そう信じたい。
ここまでの力のある監督なら事実そうだろう。
ここまでこの駄文である長文見てくださった皆様に少しでも
ジュラシクワールドの良さが伝わったのなら幸いである。
と共に感謝します。
ここまで読んで下さり本当にありがとうございました。
さて本日から公開の『ジュラシックワールド:炎の王国』
そちらも傑作になっていたらレビューを書こうと
思います。