アメリカのバブル絶頂期にOLしていた時の話 | 解毒医学・チベット医学療法マニア

解毒医学・チベット医学療法マニア

虚弱体質で重度なアレルギー体質です。化粧品に頼らず自らの肌力をUPして綺麗になる!と仕事を辞め一念発起。今ではまさかの・・・手作り化粧品工場を経営しています。 人生とは分からない物で、最大のコンプレックスが仕事になりました。 

昨夜も暑かった・・・。 昨日の幸せなブログとは一転、夜中には半分ブチギレてました。

暑いととにかくイライラするみたい。 こんなダルダルで不調であと2ヶ月も耐えられない!!!!!

と暴れたくなる程のイライラする・・。


そんな中、課長島耕作という漫画が目に入り、読んでいるうちに、自分のOL時代を

思い出していました。


海外で学生時代からレストランの経営していたのですが、その時本格的に会計士になろうと決断し

お店は売却、卒業後は、ホストファミリーの伯父さんがやっていた日本人向けのフリーペーパーの

営業をしつつ、公認会計士の試験勉強講座に通っていました。 それから会計士としての仕事を探し、

会計士をしながら勉強の日々。


週末はシリコンバレーのバブル絶頂期のど真ん中に居たので、日本から来る駐在員が沢山。

色々な会社の駐在員の方々をまとめて、りえちゃんテニスサークルを主催し、週末は朝からテニス。

お昼はどなたかの駐在員の奥様の手料理を食べに行き、それから10時間お勉強する・・。


学生時代は停学やら退学問題やら悪行を色々としていた頃から比べると、このOL時代は唯一

人としてまともだったかも知れない・・。 周りも皆エリートばかりでしたね。 自分の長年付き合った彼氏は

就職出来ずに日本に帰国、友人も女子にビザを発行してくれる企業が無く、皆帰国してしまった。


でも私は運が良く、ビザも取れ、弁護士代も会社が負担してくれて、アメリカで就職が出来たのです。

26、27歳位のエリート独身駐在員も沢山いて、逆ハーレム状態でしたねぇ。 良い時代だったな・・。


親の仕送りも無くなっても、自分で海外で一人自立して、毎日自炊して仕事して勉強して、外食は誰かしらから

誘ってもらったりしてて・・。 スタンフォード大学に来てる若い日本人博士達や超やり手商社マンやら、

出来る人ばかりの環境で、皆目指す夢があって。 


でも会社に行くと唯一の日本人が社長と私。 その社長が日本人嫌い、女嫌いで大変だった・・。 近所の日系のIT会社に勤める学生時代からの男友達とランチしようぜ~~なんて言ってお出かけしようとすると、 とにかく監視。誰と出かけるのかと近づき、名刺交換までさせて、友達の上司にまで連絡する・・。 御社の●●さんは

どんな人間ですか???と。まったくもって意味が分からない。


お客様と日本語で電話で話していても内容を聞かれる・・。海外独特の狭い日本人社会の中、しかも

日本人が嫌いらしく変わった方でした。 何せ日本人も女性も会社で私一人・・。  他の社員と話すのも

全て小声でコソコソしなくてはいけない状態・・。 とにかく、誰とも口を聴いたら許さないという変な目線と雰囲気。 やたらと変に意識されて、居心地悪く、挨拶するのも怖くなってきてしまいました。 仕事は楽しいけど、合わない上司とのストレスとか初めての経験でしたね。


なんか、海外だと日本人同士って事で変に意識しあうのはよくある話なんですけどね。 まぁ一年過ぎた頃には

国家試験に専念するためにも会社を辞めたのは、仕事ではなくてあのストレスが辛かったからかな。

結局その社長さんは監視はするものの、他の男性社員のように私と食事に行ったりランチを一緒にする事も打ち解けることもなく・・。  本当に話す事が珍しい程無かった・・きっと女嫌い、変なトラウマがあったような気がする。 仕事以外の話した事無いからまったく情報が無いからなんともいえないけど。


今男性を工場の専門職意外に雇えないのは、絶対あそこの経験から来てるのかな・・と思う。トラウマと言うか・・。  


馬鹿って言うと馬鹿って言う・・・て歌詞もあるけど、イライラすると何か変なイライラした時の事を思い出して

悪循環だわ・・。 もっと平和な気持ちになりたい・・・。 もっと優しい気持ちになる事思い出そう、考えよう~。

ん・・・あまり良い素行が無い・・・。 朝から血の繋がらないお客様であり母と尊敬する方にメールしたり、

ブログ読んだり。 日本人のワビサビに精通する、こんなに素晴しい方が周りに居てくださって良かった~~。

私は今現在、一番遠い場所におります・・。 もっと良い子、良い妻、良い女、そして良い母になりたいな。