1年間の軟禁生活@高校時代 | 解毒医学・チベット医学療法マニア

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虚弱体質で重度なアレルギー体質です。化粧品に頼らず自らの肌力をUPして綺麗になる!と仕事を辞め一念発起。今ではまさかの・・・手作り化粧品工場を経営しています。 人生とは分からない物で、最大のコンプレックスが仕事になりました。 

雑誌の取材などで昔の事を聞かれて驚かれるので少しブログに書いてみます。


幼少時代はさておき、まずは高校の話になりますが、私は1年間外出が出来ない

牢屋の中での生活をしていました。詳しく言うと、全米で一番古いクリスチャン系女子高(全寮制)

に入学し、一年間、自由の国アメリカで、監獄に閉じ込められる青春を送っていました。


とにかく英語が分からない。栃木の普通の公立高校から、なぜか特に準備もなく凄いお嬢様学校への

入学が決まりました。 スカウトされたというか、度胸試しの試験に合格したというか・・とにかく

ひょんな事で留学。


もちろん、アトピー性皮膚炎をはじめ、19種類アレルギーのある私は、人口より羊の方が多いような

アメリカの田舎、伝統のお嬢様学校での生活で人生を一転させたいと思っていたのです。


自由の国に1人渡ったものの、その学校は、アメリカ人でさえもビックリ、同じ留学生に話しても

ビックリされる程の超厳しいクリスチャンスクールでした。


毎週7個以上の×が付くと一週間の外出禁止、週末のボランティア活動と便所掃除が課せられます。

私は・・・・なんと10倍の70個一週間で×を集める程の問題児でした。 とにかく英語が分からず

友達も居なく、日本人がいても田舎者だし別荘も持っていないレベルだし・・英語話せないから面倒な

ヤツ・・・と思われ相手にしてもらえない生活でした。


おまけに、NOと言わないため、アメリカ人からはカツアゲにあっていました。 金貸して、洗剤貸して、

何貸して、と絶対断らない典型的な日本人の私にようしゃなく、貸してくれる噂は広がり、もはやソフト

カツアゲ状態でした。


学校の日々は、毎朝6時起床、部屋のチェック(ベッドメイキングやゴミ箱にゴミが一つでも入っていてもダメ。)

朝食は6時半、その後 奉仕の時間、そして教会に行ってお祈りを捧げてから学校へ。


男の子とのお付き合いの仕方や、生活の全てにおいて規則が有り、だけども、未だにその細々とした

自分の何がいけなかったのかは、未だに不明です。 宿題が終わらずに毎晩消灯破りはしていたけど・・。

1週間で70個×が溜まっている週も有れば30個、最高で14個位に抑えられた時もあったけど

よく分かりません。 


毎週、不良ぽい女の子らと一緒に便所掃除を余儀なくされ、必然と出来る友達も不良が多くなる・・。

一年間、私はその生活に耐え、夏休み、私は憧れのキャンディキャンディがアンソニーと出合った

ニュージャージー州のサマースクールに行く事を決断、そしてそこで運命が大きく変わって行ったのです。


今となっては、あの軟禁生活に良く耐えたし、あの時出来た友人は私の宝物。 

最愛の旦那様も場所は別だけども、同じ様な監獄生活の高校時代を送った人です。とても珍しいけど

同じ境遇を共有した人と結ばれる事が出来たのも、あの生活のお陰かな・・・と思っています。