について考えていました。


一晩あけて、なんで花ちゃんは、天国に行きたいとまで思ってしまったのか


考えていました。





わたしはそれはね、結局



だと思うのです。


さらに言うと幼少期が深く関わってくると思っています。


幼少期に愛情が足りないと、

もっと欲しいと愛情に執着します。

これはとある一人の女性の話です。


彼女は


昔、すごく愛に悩んでいました。


大人になってからは愛情に執着し、もっともっと欲しいと、特に近しい人の愛に執着していました。

心を深く病んでいるようでした。



夕方から夜になると、気分が優れず、 

その感情は、自分でもどうしようもできなくて、

ただ、ずっと悲しく憂鬱で苦しくて


お酒を飲んだり薬を飲んだりしてなんとか一日を終わらせていました。

生きていたくない


どうしてもそこに考えがいくから。


時には朝起きた時から気持ちが優れず、一日中何をしてもハッピーな瞬間がない



これはおかしい

と彼女は周りの人に、


【毎日気持ちが落ち込み、そこから自分で抜け出すことができない、こんな事ある?】


と聞いて回っていました。



【自分以外の人もそうなら、あの人も頑張っているなら自分も頑張れるかもしれない】


と。

しかし、

【嫌なことがある日だけはそうなる】


という答えが返ってきて、

彼女は自分がおかしいかもと


病院に行きました。





すぐに心の病だと、また、ADHDだと診断され薬を渡されて帰りました。


そう言われてしまうと、余計その病に食べられてしまいそうで、

自分は大丈夫と薬を飲まないでいました。


しかし、とにかく寂しい、悲しい、愛されたい。


これは脳がおかしくなっているかもと


ある日薬を飲んだらおかしな気分になり、


やっぱり自分はうつ病ではないのだ!

と思いました。



大丈夫な時は元気な日もあるけも、ごまかし、ごまかし日々を過ごす中で


心の病を持った、親しくしていた人と大きく揉めました。



警察の方にお世話になったり、救急車に乗ったり、

とにかく最低な日々が続き、

ここが地獄だ。

と言いました。


命を断とうともしました。


でも、最後の勇気と、親の顔が浮かび中途半端な事をし続けました。




怖くて死ねないなら生きよう


愛情に執着しないで





とにかく愛以外に目を向けて生きてみる事にしました。



辛い日もあるけど、時に薬を飲んだりしつつ、


前を向いて生きていました。



そんな時一つの愛が現れて、

愛し愛されて、愛を知り幸せを感じました。



なぜあんなに憂鬱だったか、まともな状態になり思ったのは、


病気だったんだ。

と思ったそうです。


死にたいのは鬱のせいです。


寂しいのも辛いのも全て

だけどそれは

大人になるまでに自分に足りていないのが愛情だった



と思ったそうです。

いまは幸せに暮らしているようです。



彼女の話を聞いて、、

思いました。

わたしは今お腹に自分の子供がいて、


この子が、産まれさせてください!!とお願いしてここにきたわけじゃなく、


私と旦那が、二人の子供が欲しいね、見てみたいよね

といって勝手に二人で決めた事。

二人で作った命。

そこにこの子の意思はない。


私達二人の意思でしかないので


愛情を注ぎ、この子を幸せにする


のが私の新しい人生の選択だと思っています。


親も人間なので自分の人生を優先したり、悩んだり失敗することもあると思う。

でもあの日二人で決めて作った命に

愛があればいい


花ちゃんのことがこれに当てはまるかはわからないけど、


わたしは、
花ちゃんにはもしかして愛が足りなかったのかなと思いました。


愛が溢れている時に死にたいとは思わない。


でも病気が頭を占領する事もある。


でもそもそも愛があれば病気にはなりにくい。


と思いました。

あくまでわたし個人の見解ですが、


どうか


が絶えず続いて、全ての人に愛が降り注ぎますように。

そして

愛の為の法律

ができますように。
(今回の誹謗中傷が罰せられる法ができますように)






思いの丈を書きましたが、


次からまた妊婦日記に戻りますニコニコ


暗い気持ちでしたが、前を向いていきますニコニコ



5月23日
朝 とうもろこし 豆乳 モスバーガーの菜摘の照り焼き


昼 トマトパスタ シラスのペペロンチーノ
サラダ 小さなピザ

夜 海鮮サラダ


間食
間食がやばかったえーんえーん

ケーキ、また!フォーションのパン🍞滝汗

クロワッサン バターパン ちぇりー