わたしの父は高等遊民 | やばい、まじやばい 創作ノートブログ 

 

 

 

わたしが17歳になった春だった。
父は高等遊民となった。

父は勤めていた会社を突如として辞め、何ら生産的な活動はせず、

自らの興味・関心の赴くままに生きることにした。

母は驚き、泣きわめき、父を罵り、結婚生活に絶望し、人生を呪い、

そして・・・若い恋人と共に父から去って行った。

 

わたしはずっと前から知っていた。
父が母を裏切ったのではなく、母が父を裏切っていたのだと。

 

 

わたしは高等遊民たる父の下で暮らすことになった。
父の蓄えがどのぐらいあるのかわからないが、

地道にやっていた株式投資も利益が出ているので、

少なくともわたしが大学に行き、就職するまではなんとかなるだろうという話だった。

 

高校生のわたしにとって、高等遊民たる父の生活は実に興味深いものだった。

居間で幾何学に挑んでいたかと思えば、Youtubeで見た地方の史跡を訪ね歩き、

昆虫に心を囚われれば遠方の山中に虫を採りに出かける。
何日も哲学書を読みあさっているかと思えば、焼き鳥屋のカウンターで相対性理論を熱く語り、

その翌日は少年野球に混ざっていっしょにグランドを走り回っている。

わたしに言わせれば、自動車免許を持っている父は

「やたら機動力のある理屈っぽいガキ」だった。

 

 

そんな父が去年再婚したいと言い出した。
 

相手の女性は雑誌の編集者だった。父の小学校の同級生だと言う。
どういう経緯で二人が付き合い出したのかは興味も関心もないが、

わたしは大学3年になっていたし、父が大人の男性として異性を必要としていることは

よく理解できた。
 

ただ、すっかり「やたら機動力のある理屈っぽいガキ」となった父が

普通の結婚ができるのかは大いに疑問だった。

 

 

そして、案の定、父の再婚はならなかった。
 

十分に大人になった女にとって、少年のように心のままに自由に生きる男は魅力的に映っても、いっしょに暮らすとなると話はまったく別だった。

 

お試し同棲を我が家で始めた二人の関係はわずか3週間足らずで破綻した。

 

ユークリッド幾何学の美しさを熱く語り、ワンピースのロノア・ゾロの男気に涙し、

大谷翔平のピッチングに狂喜乱舞し、西田幾太郎の絶対矛盾的自己同一論を論評し、

5時間かけて養老渓谷にハグロトンボを採取に出かけるような男に

ついていける人間はこの世に存在しない。

 

桐谷美玲の全出演作品をそらんじ、ヒッタイトの製鉄技術を称賛し、

サバクトビバッタの群生生態を語り、マリア・カラスとオスカー・ピーターソンを愛し、

「サピエンス全史」をオーディブルで大音量で聞きながら平気で運転し、

宇能鴻一郎の作品、文体についてファミレスで真顔で議論するような男に

ついていける人間はこの世に存在しない。

 

雑誌編集者の彼女は疲れ果て、呆れ返り、憐れむような目をしながら荷物をまとめ出て行った。

 

 

今年、わたしは23になり就職も決まり家を出る。
(わたしは一浪したのだ。)
 

父はため息をついて「とうとう一人になるか・・・」と言った。

 

やっぱり父はわかってなかった。
全然わかっていなかった。

 

 

ずっと前からパパは一人なのよ。