今朝読んだ本。

📕私ちゃんとしなきゃから卒業する本


から、罪悪感について。

罪悪感て、気持ち悪いんだけど、


その訳がちゃんと説明されてました。


罪悪感とは、悪いと思っているフリ。


なんでフリをするかというと、自分の常識に合わせようとするから。

よいこのふりをしているから。


本心では「悪いと思っていない」のに、自分の信じている常識と違う時にそれを調整するために巻き起こる感情だと。


衝撃的🫨🫨🫨←この顔が出た時から好き。


おおー、なるほどな。


だから気持ち悪い。

だって悪いと思ってないのに悪いと思ってる風を装ってるから。


これって、愛想笑いとかにも通じるな。

面白いと思ってないのに、

うすら笑いを浮かべるとか。


気持ち悪い。


つまり、

思っていることと、やっていることがずれていると

気持ち悪いオエーオエーオエーオエーオエー

これは本人も周りにいる人も。


この気持ち悪いに気がついて、

私の本当の気持ちはこっちだな、に

気がついて、

その気持ちの方にどうやって変えていけるかを

やっていけばいいんだ。

(て、それが難しいけどね。)


でも、罪悪感感じた時点でもう答えが出てる。

やってることが思ってることと違うってこと。


例えば、私。

自分が好きにお金を使ったり、

出かけたら、遊んだりするのに罪悪感がある。


それは

私は


遊びたい、

お金を使いたい、

出かけたい

(まさに欲望)


けど


それは


良い妻ではない、

夫になんと思われるんだろう、

他の人になんで言われるんだろう、


って、声に負けて、こっちを採用してる👈🏼


自分の評価が下がる⤵️、

自分が批判される、

きっと怒られるのが嫌で、


欲望に従わない。

無視をする。

なかったことにする。


そんなことをしていたら、その欲望自体がなくなって、世間体とか他人の評価とか、自分の思い込みだけに従うことになる。

さらには夫や子供のせいにして、

やらないことを選んだことを

あたかもいい妻でお母さんであるように

振る舞っていたんだ。


だから、今、私はつまんないんだ。

私はやりたいことを思うことさえ許されない存在。



罪悪感は宝の原石だと、あさぎさんも言っている。

そう、それを感じたことは、

本当はやりたいこと。


たくさんあるよね。


1人で旅行に行く、

ご飯作らない、

なんならご飯食べない、

起きたくない。


勝手に私がいないとみんなが大変だし、

私がやらないとやる人がいないし、って

実は自分の価値を上げようと一生懸命だったわけで。


お前なんていなくてもいいよ、って言われないように自分が我慢をしてしまう。


実際問題、我慢ばっかりで、イライラして、

怒ってばっかりになって、


お前なんていらん、と言われる訳ですが。


その時のショックたるや。(私の現状)泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い


あんなに我慢して、頑張って、無理したのに、


言われる言葉は


そんなやつ

いらん。


だからね、人のために尽くすより、

まずは自分なんだな。


そんなやついらんは


私が私自身に言ってる言葉。


なんもできんやつなんていらん。

なんか役に立てよ!

なんかしろよ!


幼い頃からずっと自分にかけ続けてきた言葉。


ようやくスタート地点▶️


何もしない、

何もできない自分がいることを知る。

それでもいいんだと伝えていく。


何度も自分に言ってきた言葉を変えること。


それでいい。って、声をかける。

私に必要なのはまずここ。