さて、前回の記事はその場で思いついた事を短く書いただけだったのでいったん語学編に戻りましたが、今回はまた好評な(?)ヒーハー版ジョブチューンに戻ろうと思います。以前の記事『4足目のワラジをめぐる攻防(要するにイジメ)』では、学校の先生の大半は良い人なのだが、やはり陰で汚い事をやっている先生も一部いるという事を書きました。その割合はもちろん学校によって異なると思いますし、多くてもせいぜい全体の2割程度なのでしょうけども、こういう教員たちはとにかく牛耳るのがうまいので、それが全体に及ぼす悪影響はやはり残りの8割の良い先生たちの努力を台無しにしてしまうほどのものなのです。
その悪影響が教員同士の間だけにしか及ばないのであれば、まだなんとか我慢できるという人もいるかもしれません。(←俺は我慢できんけど)ですが、もっと我慢ならないのはこういう人たちの悪影響が生徒たちにも及ぶ場合です。こういった教員の悪影響は様々な形になって生徒に降りかかりますが、その最たる例のうちの1つはやはり体罰です。そして僕は今は既に現役の教員ではないとはいえ、教育の現場の裏で汚い事が行われているという事を知っている以上、その悪事は暴かれなければならないと思っています。
昔に比べりゃちょっとばかりはマシになったとはいえ、今でも日本においては体罰の問題は根強く残っております。例えば体罰が原因で生徒が自殺したケースはこれだけありますし、それから2012年度と少し前のデータではありますが、この年度では4,000校を超える学校で約6,700件の体罰があったと報告されています。その中でも最も酷いのが高校であり、リンク先のPDFの2ページ目の表では、全体で5,022校ある内の1,190校から体罰が報告されており、そのパーセンテージは23.7%となっています。つまり4校に1校近くの割合で体罰が行われているという事なのです。ここ2~3年は体罰の件数は減ったとは言われていますが、その根幹にあるものは何ら変わってはいないでしょう。
さて、ここで気を付けていただきたいのが、この体罰6,700件というのはあくまでその体罰の存在がバレて、尚且つそれが教育委員会だとか文部科学省だとかの上の人たちに報告された件数だという事です。言い換えれば、実際には体罰が行われていたとしても、それが学校にバレなければカウントされないし、学校内で体罰の存在が認識されててもそれが上に報告されなければやはりカウントされないのです。つまり実際の体罰の件数は6,700件どころではなく、こんなものはただの氷山の一角にすぎないと言えます。
さて、ここで読者の皆様の中には「それにしても、体罰が行われているのに通報されないなんて、そんな事ありえるの?何で体罰を喰らった本人やそれを目撃した人たちはそのまま黙ってるの?」などと疑問に思った方もいらっしゃる事でしょう。そうですよね、そりゃ常識で考えりゃおかしな話ですよね。
時代の流れと共に、遅ればせながらも日本でも「体罰はいけない、子供は叩いて躾けるものではない」という風潮がだんだん広がってきています。仮に心の奥底では体罰肯定派であるという教員がいたとしても、普通であれば、「体罰はいけないっていう風潮になっているな。体罰を使わずに指導する技術を覚えないといけないな」という風に、時代に合わせた考え方になってくるはずです。
しかしその一方で、「体罰を使わずに指導する」とは全く別の、「画期的な方法で」「時代に合わせる」先生たちもいるのです。その「画期的な方法」とは何か?そう、勘が良い人はもうおわかりですよね。体罰をしているのにそれを体罰であると報告させないための技術を身につければよいのです。
では、この21世紀の日本で未だに体罰を使っている先生たちの手口を「ぶっちゃけぶっちゃけ!」しちゃいましょう。彼らの技術の秘伝のタレは大きく分けて2つあります。
【上層部にバレない体罰の技術】
(秘伝のタレその1):先生に対する反抗を許さない日頃からの雰囲気作り
これは実際に体罰を行う前にやっておく下準備です。この先生を怒らせるといかに恐ろしい事になるかを子供たちの心に刷り込んでおきます。常日頃から表情や声のトーンなどに気を付けて怖いオーラを出し、時にはものすごい剣幕で怒鳴りつけたりするなどして、ピリピリとした雰囲気を作り上げ、生徒たちが先生に反抗する気を起こさないようにしておきます。これをしておく事によって、先生が理不尽な事を生徒にしたとしても、それを生徒が公に批判しようとする可能性がグンと下がるのです。
(秘伝のタレその2):体罰とカウントさせない殴り方
怖い雰囲気を作るだけだったら、ある程度の教員であればほぼ誰でもできます。ですが実際にはここからが体罰が上手な教員たちの本当の職人技の見せどころなのです。いくら普段怖いイメージを植え付けていても、実際に手を出した時に生徒から「体罰だ!」と訴えられてしまっては、彼らの日頃の努力は水の泡です。(←いや、ホントはそんなもん水の泡になりゃいいんだけどね)そこで彼らは、生徒に手を出す時に「ある事」に気を付けるのです。
それは打撃を生徒の体にクリーンヒットさせない事。これだけ聞くと簡単かもしれませんが、これは体罰をやり慣れた先生でないとなかなか難しいと思います。クリーンヒットはさせないけれども、それ以外の部分は全て全力でぶん殴る時と同じように行うのです。全力で「テメー、なめてんのかコラァ!!」と殴る時と同じだけの剣幕と怒鳴り声で、全力で殴る時とほぼ同じ手の軌道とスピードで、でもチョコっとかすめる程度に当てるのです。
クリーンヒットをさせる時とほぼ同じ手の軌道とスピードでちょっとだけかすめる。これは恐らくメジャーリーグの上原投手がストレートを投げる時と全く同じ腕の振り方でフォークボールを投げるのと同じぐらい高度な技術を要するものであり、これにより生徒は本当に全力で殴られた時と同じぐらいのレベルの恐怖心を味わう事になります。でも実際には怪我もしていないし大して痛くもない。だから生徒は「体罰を受けた!」と強い姿勢で訴える事がなかなかできないのです。これが日頃から刷り込まれている先生に対する恐怖心と組み合わさりますから、訴えにくくなるのはなおさらです。
僕の知る限りでは、この高等技術は少なくとも僕がまだ高校生だった頃には既に確立されていたようです。僕の当時のクラスメイトの野球部員たちが、「あの監督、痛くないように殴るのマジで上手いよな。」とかよく言ってたもんでした。逆に言えば、体罰の「上手な」先生たちからしてみたら、テレビや新聞に出てくる「体罰教師」はヘタクソで無能なのでしょうね。優秀な犯罪者は、証拠を残すようなヘマはしない。優秀な体罰教師も、生徒の体にアザを残すようなヘマをしない。
さて、現代版体罰教師の上級テクニックをご紹介しましたが、これに関しては「生徒が体罰を受けてもなかなか通報しよう踏み切れなくなる」事の他に、もう1つ懸念すべき事があります。それは生徒が体罰教師に対して服従を続けるうちに、本当に「殴られるのは自分が悪いからだ」と思うようになってしまう事です。人間の慣れというのは恐ろしいもので、それが普通だと思い始めればそれは本当に普通の事になってしまうのです。
体罰は法律で禁止されている悪い事だとわかっているはずのに、いざそれをされても許してしまう。これは生徒たちが「よく教育されている」のではなく、「よく洗脳されている」からに他なりません。これはブラック企業で酷い仕打ちを受けているのに「でも悪いのはやっぱり自分だから」と加害者を正当化する「社畜根性」を持った社員にも通じるものがあると思います。こうして考えてみると、日本の学校で体罰が未だになくならないのと日本の労働市場にブラック企業が蔓延しているのには何らかの相関関係があるのでは?と見る事もできなくもないかもしれないですね。
以前の記事にも書いたように、被害を受けている人たちは、自分たちが立ち上がらなければ状況はいつまで経っても改善されません。理不尽な状況に立ち向かうためには、まずは理不尽な状況の存在を認識する事から始まります。そのためにも、僕たち1人1人は、理不尽な事をする人がどんなに怖い人であったとしても、少なくともその人の理不尽な言動を正当化する事だけはあってはならないのです。