よく、日本の英語教育はテスト偏重であり、大学受験のための英語になってしまっているという批判を聞いたり読んだりする事があると思います。たしかに普段学校で行われている英語のテストは実践的なものとはお世辞にも言えず、できた所でどれだけ役に立つのか疑問に思えてくる問題も少なくありません。
「次の英文は第何文型であるか答えよ」とか、「次のTo不定詞は名詞的用法、副詞的用法、形容詞的用法のどれに当たるか答えよ」とか、できても全くの無駄とまでは言いませんが、苦労してこういったテスト問題に答えられるようになっても、それが実際に読める・聞ける・書ける・喋れるにどれだけつながるのかというと、つながっていないケースは山ほどあるでしょう。でも、これはテストの仕方がおかしいだけであって、勉強においてテストそのものの存在が無意味という訳ではありません。
そもそも、テストというのは、元々学習した内容をどれだけ覚えているか、理解しているか、あるいは使いこなせているかを診断するものであり、また、その診断結果によってその後の学習の仕方を、今のままのやり方でいいのか修正をするのか決めるためのものです。なので、「学習成果を診断し、その後の学習プロセスに役立てる」という根幹の目的が果たされていれば、そのテストは十分有意義であると言えるものであり、また、その目的を果たす事ができていれば、ペーパーテスト形式の学校の定期テスト以外のものでもテストになりうるという事にもなります。
例えば、僕はスウェーデン人の友達を週1のペースでスウェーデン語でスカイプをしています。彼女は別にスウェーデン語を教える事を職業にしているわけでもないし、僕以外のスウェーデン語のノンネイティブとスウェーデン語で喋った経験はこれまでほとんどなかった人です。彼女とのスウェーデン語のスカイプはとても「レッスン」と呼べるような形式ばったものではなく、ただ喋りたい事を喋るというだけのものです。これでも、僕にとっては立派なスウェーデン語の「テスト」になるのですね。特にまだ中級者レベルに入るかどうかぐらいの時はそうでした。
特にあの頃は彼女とスウェーデン語で喋れば喋るほど、自分の弱点という弱点がわんさかと浮かび上がってきました。言いたい事をスウェーデン語で表現しようとしても、表現するための単語を知らない。「ああ、この単語ってスウェーデン語ではなんて言うんだっけ」っていう状態に毎回のようになりました。彼女の喋りのスピードがちょっと上がったり、ちょっと説明の内容が難しくなるともう聞き取れなくなり、話についていけなくなる。
彼女とのスウェーデン語の会話を始めたばかりの頃は、この「テスト」によって明らかになった自分のスウェーデン語のあまりのできなさぶりに毎回凹んでました。でも、それが良かったのですね。やっぱり自分の力量を測る機会がないまま勉強を進めると、大して上達してもいないのに満足してしまいがちです。
僕はあの毎週のスカイプで(彼女からは直接何も言われてませんが)毎回自分の不出来ぶりを嫌というほど思い知り、それが次の日からのスウェーデン語の勉強のモチベーションを上げる事にも貢献してました。大体土日のどちらかにスカイプしていたのですが、その直後の月火あたりに勉強に身が入り、木曜あたりにちょっとダレてきて、また週末のスカイプでみじめな現実に直面して再び気合が入る、といった感じですね。
スウェーデン語がだいぶ上達して彼女とのスカイプで以前ほど苦労しなくなった今でも、たまには「自分はまだまだヒヨッコなのだ」と感じさせてくれる機会を探すようにしています。普段あまり見ないタイプの動画を見るとか、あまり読まないタイプのものを読むとか。普段やり慣れている事しかやっていないと、あたかも自分にはもう弱点がないような錯覚に陥ってしまうんですね。そうなってしまったら勉強でもスポーツのトレーニングでももう力は伸びないです。だからそんな天狗になりかけた自分の鼻っ柱をへし折ってくれる存在、自分がまだできていない部分に気づかせてくれる存在が必要なんですね。
だから、ちょくちょくいろんな「テスト」をやってみましょう。勉強している言語で3行日記を書いてみるのもいい。YouTubeに動画を投稿するという設定で(実際に投稿するかどうかは別として)、3分間カメラの前で喋り続けるのに挑戦してみるのもいい。やってみると、今の自分に何が足りないかが見えてくるはずです。このように、何をするにしても、実は自分の力量を明らかにしてくれる「テスト」が日常的に自分の周りにあふれています。せっかくだから、大いに活用しちゃいましょう。減るもんじゃないし、使わなきゃもったいないですよ。
《ポイントまとめ》
・「テスト」とは、自分の今の能力を診断し、その後の勉強のために役立てるものであり、必ずしもペーパーテストの事を指すとは限らない
・自分の力量を測る事ができるものは、どんなものでも「テスト」になりうる
・「テスト」によって自分の力のなさを自覚してこそ、より上を目指す事ができる